会長のコラム 275
ことしの夏は例年を超える暑さで、仕事に励む(?) 高齢者には厳しい環境で、記憶に残る経験であった。私の生まれ月は9月で、昨年米寿を祝って貰い、今年は89歳になる。来年は90歳、非常勤取締役と言えども、創業者会長職ともなると文鎮の役、この程度の役かも知れないが、責任感と言うか、愛着と言うか、言いようの無い心境に至るのである。その環境の元、今の生活状況なるもの、話してみたい。
学卒後、サラリーマンを9年勤めて、部下を伴い創業する。その後、相模原の古淵に居を構え、仕事が順調に回るようなって、東京北区に住む両親を呼び同居生活を始める。二人の息子が大学を卒業するまで、両親とそこで同居であった。特に父親は、男の孫に甘く、後々その悪弊が出てくるのである。
その話は又の機会とし、今の私は横浜の高齢者住宅に69歳で家内共々入居(今は70歳が入居資格)、当時は、私はプールに、家内は社交ダンスに、それぞれ、車通いの贅沢三昧、それが今では、家内が4年前に逝去し、89歳の私は独身と化し、人生最大の苦労を背負っている。家内の逝去は、何が原因だったのか、創業初期には苦労掛けた事があり、その祟りの気がしてならない。医者の死亡原因では、83歳の妻に対して「老衰」と記されてあった。これ、今以て納得出来ない。医者の話では誤嚥による肺炎との事、肺炎は薬で治るが誤嚥は完治しない、今後の治療は延命行為となるが、如何しますか、と問われた。私たち夫婦の健在時、お互い延命治療はしないと約束し、夫婦共々尊厳死協会に入って居たことからの結果であった。
奥様をすい臓がんで亡くし、その後再婚した同歳の友人がいる。彼は、誤嚥を患い肺炎を何度も患いつつ、苦しみ、やっと生きている。後妻の奥様に延命治療は止めるよう忠告しても聞く耳をもたず、友人は今以て苦しみつつ生きている。いろいろ事情があるのかも知れない。最近では見舞いに行くにも気が重くなってしまった。
何かの参考になればと思って書いてみたが、気分が悪ければ御免、ご容赦頂きたく。
今月の音楽ライフ
新国立劇場公演の今シーズン最後のオペラ公演、世界初公演の細川俊夫/「ナターシャ」の8月12日マチネコンサートに行ってきました。
ストーリーの始まりは、天災下の郷里での地震と津波で、母と郷里を失ったアラト、そしてウクライナから逃れて来たナターシャ、この難民同士の二人が海岸で巡り会い、災難を受けた者同志、言葉の違い等関係無い境遇の下、お互いを理解し合い、心を繋ぐ、この情景を音楽が表現しつつ、現代社会が抱える問題の、自然破壊、戦争、等を地獄として表現し、向かう道筋を「始原の海」と呼び、混沌と海に寄せる波との親和性が高い事象と言いつつ表現される。その舞台は、心を引き付ける波の映像が、意味ありげに写し出され、ここから事が始まる。
この現代オペラ作品は、プッチーニ等のオペラとは、受ける感動は全く違うもので、これが「現代のオペラ」と言うものなのか、確かに音楽の持つ表現力は、素晴らしかった。しかし、私のイメージするオペラ「夢の世界」が、悪魔に荒らされている様で、受ける感動は全く別のものであり、癒しを求めての鑑賞は出来なかった。舞台背景は映像を巧みに使い、聴衆の心を巧みにつかむ演出技術に価値があった。新国立劇場次シーズンの最初の公演が、プッチーニ/ラ・ボエーム、これと比較するのは間違いと思うが、受ける感動の質は大きく違う。この違いを意識しての公演プログラムは、新国立劇場の意図なのだろうか、感動を受ける事への気配りか、オペラ鑑賞は益々止められない思いに至る。