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colums会長のコラム

会長のコラム 149

早いもので、桜の便りが聞かれるようになりました。月に1回のコラムアップを怠りなく心がけていると、季節の変わりが時の経過に速さを感じて切なくもあり、生活リズムの潤いともなって不思議なものです。
今月は、3月1日 日曜にミューザ川崎、7日に高輪オペラの会、おまけにこの日は神奈川フィルの定期演奏会とバッティング、9日は新国立劇場のオペラ公演、15日は植村攻さんの追悼コンサート、と言う具合に前半に音楽会が集中してしまい、加えて、お彼岸で親父の墓参り、仕事関係者の転勤、引っ越し祝い、知人の起業祝いと、春ならではの行事が目白押し、私如き老人にも人並みに巡ってくる義理は春近しならではと言う事で、自由にならない我が予定表を思うに、昔の殿様だと如何だったのか羨ましいです。
さて、世界の事情はきな臭い話に加え、理解し難い各国の財政政策に困惑です。米国の引き締め政策の一方で、日本、ヨーロッパの財政緩和政策と言う具合に、紙幣を自由自在に印刷したり絞めたりと、労働の対価以外に収入の道の無い我々にとっては、理解出来ない別の世界を覗きみるに至り、預金や年金が目減りしていく様に、黙って見て居ろと言うのか。これには、何ともやり切れない思いが走る昨今であります。いっその事、この先の余生を有意義に、オーディオ機器でも買い込んで楽しく送るかなどと考えたいが、政府日銀の策に嵌ってしまう、これもお国の為かも知れないないが、生活の保障の限りでないのは自己責任と承知すべし。「くれぐれも、お願いします、日銀さん!」 窮極の事態にならないように。

3月1日 日曜午後2時開演のマチネコンサートで神奈川フィル特別演奏会、オーケストラ名曲への招待と題する定期演奏会とは別シリーズのコンサートに行って来ました。
コンサートホールがミューザ川崎で、2度目の訪問でした。今回はとても素晴らしい席で、中心の中心と言う滅多に巡り会えない良い席。ステージの音の分解能が良くオーケストラのメンバー個々の音が聞こえる様でした。それでも音楽堂の様な楽器その物の音に近いものではなく、独特の音色が付いた音でした。これはホールのエージング不足によるものなのかも知れません。しかし、このホールはやはり良いホールなのでしょう。エージングの効いて来るのが楽しみなホールです。
当日の演奏曲目は、チャイコフスキーの V協と交響曲5番、肩の凝らない選曲でサービス満点でした。しかも、第一コンサートマスターとソロコンサートマスターの揃い出演で、ヴァイオリン独奏が若さあふれる郷古廉でした。このひとは、1993年生まれながら、最近の国際コンクールで優勝し、ヨーロッパを中心に活躍中ですが、昨年はサイトウ・キネンに出演し、日本メジャーへの出演を果たした注目の新進奏者です。素晴らしい日曜のひと時を過ごさせてもらいました。

3月7日土曜午後12時から恒例の高輪オペラの会が、グランドプリンスホテル新高輪のレストラン「イル・レオーネ」にて行われ、行ってきました。当日の演奏は、ヴェルディー/オペラ「アイーダ」で、出演が清水華澄(アムネリス)、小林厚子(アイーダ)、大川信之(ラダメス)、そしてピアノ伴奏がいつもの藤原藍子でした。
この清水華澄さんは、今旬の実力歌手で、先日は新国立劇場に出演していました。やはり、他のお二人とはレベルの差を感じ得ませんでしたが、これだけの歌手を出演させる主催者の力量も見事であります。この清水さんは、アンコールアワーで武満徹の「死んだ男の残したものは」と、サンサーンスのオペラ/サムソンとデリラのアリアから「君が御声に我が心開く」を歌ってくれましたが、これだけ近くで旬のメゾソプラノ歌手の歌声を聴く贅沢にすっかり痺れてしまいました。
次回が楽しみなのですが、腰痛で2年ぶりとなる海外旅行が予定されており、残念ながら参加が不可となりそうです。

3月9日月曜午後7時開演で、新国立劇場にてプッチーニ/オペラ「マノン・レスコー」に行ってきました。
このオペラは、同じ題材によるマスネの作曲したものとプッチーニのものとあり、マスネのものが先に作曲され認知されていました。プッチーニもマスネと同様にマノンの作品に惚れて作曲に取り掛かるのですが、プッチーニの支援者たちから「危険が伴うから止めろ」との意見が有りましたが、それに耳を貸さずプッチーニは作曲に取り掛かります。結果としてプッチーニの情熱によって作曲は成功することになります。この作品は、プッチーニにとって3作目となり、最初の成功作品となります。この成功によってプッチーニは、いよいよオペラ作曲家として認められる事になる特別な作品であります。
新国立劇場当日の演奏は、指揮がピエール・ジョルジョ・モランディ、オーケストラが東京交響楽団、そして、何と言ってもマノンを演じるスベトラ・ヴァッシレヴァを始めとして、主役陣に続く歌手陣が素晴らしく、特にマノン役が美人で名歌手ですから言う事ありません。彼女は新国立劇場初登場ながら、「マノン・レスコー」「トスカ」「蝶々夫人」「ラ・ボエーム」では世界の一流劇場でタイトロールを演じる当たり役であります。
指揮者のピエール・ジョルジョ・モランディーは、リッカルド・ムーティのアシスタントを務め、その後、小澤征爾の門下生として指揮を学んでいます。現在では、ミラノスカラ座、ローマ王立歌劇場などでイタリア・オペラを得意として活躍しています。新国立劇場には初登場です。
このオペラは、何故か公演機会の少ない演目でありますが、何といっても、プッチーニ節が冴えわたり、トスカやボエームの様な超有名アリアは有りませんが、音楽が素晴らしい。筋書は極単純なのですが、その筋書が舞台進行と些か矛盾するところがあって、演出上難しいのでしょうが、私は全く気になりませんでした。それ以上に音楽が素晴らしく、痺れ通しの観劇鑑賞でありました。
例によって、終演は午後10時近くで、しかも月曜ですから、観劇にはそれなりに覚悟が必要でしたが、長時間に渡る駐車料も800円ですべて、この点ストレスは無く助かります。それでも、横浜の自宅に帰着したのが、午後10時半少し過ぎで、それからバケット、チーズ、ワインが中心の食事をして、就寝は午前1時を回っていました。当日の会場には、若い方もみえていましたが、やはり老年の観客が圧倒的に多く、特に初日公演の観客には音楽関係の方々やオペラ好きの人達が多いためか、会場はハイソサエティーの雰囲気が蔓延でありました。この様なオペラ鑑賞の環境は何にも代え難いもので、我々世代には欠かせない生きがいであります。オペラ鑑賞を趣味にしてつくづく良かったと思うのであります。

次に、少しオーディオ技術のお話をします。前回コラム148のチャンネルアンプ・システム考察の続きです。
チャンネル間のカットオフ傾斜を急峻にするか、ルーズにするかの考察を前回約束しましたのでその続きです。拙宅のシステムでは、ミッド域レンジとハイ域レンジのカットオフ周波数を4kHzに設定しています。ここで傾斜を急峻にしますと、ヴァイオリンの音はミッドレンジからハイレンジに跨る訳で、ヴァイオリンの再生音はミッドレンジのスピーカーから聞こえたり、ハイレンジのスピーカーから聞こえたりとユニット間を行き来する現象をはっきり聞き分けられてしまいます。それはその筈でそれぞれユニットが違う訳ですから当たり前です。この場合、スロープを6dB/octのブロードな状態にしてやると、この不自然さは皆無になります。よくチャンネル間を狭く設定して、スロープをシャープにすべしと仰るマニアの方が居られますが、その分スピーカーの数が増えるわけだし、当然それらが個々に音源となりますから、総合した点音源になる筈は無く、ヴァイオリンの音は帯域によって「あっち・こっち」と移動します。加えてユニット間を移り歩くのですから音色も変わる筈です。私もチャンネルアンプを検討中に何度もこの現象を経験しており、間違いない現象であります。
この現象は、ウイーンフィルのコンサートマスターのキュッヘルさんと談笑する機会があり、オーケストラの音色を決める要素は何かと言う、今思うとバカゲタ質問をした折の事です。オーケストラのヴァイオリンセクションの奏者の全員にストラディバリを持たせたら凄い音になるのでは? と言ってみたら、「それは、つまらない音になります」と仰っていたことに通じると思うのです。要は、いろいろな音が混じってオーケストラの音を形成すると言うことで、チャンネル間のルーズな傾斜によってユニット間の音色が混じり合い、妙なる調和になるものと思うに至るわけです。ヴァイオリンの音色の個体差とスピーカーユニット間の音色の個体差、少し次元は違うかも知れませんが、共通しそうな感じがしてなりません。
ただし、此処に極めて大切な原則があります、これはオーディオ装置と言う工業製品ですから、楽器の様に自然の原則によって音を生成しているわけでは有りません。この点の配慮が無いとキュッヘルさんの話と一致はしません事を強調しておきます。そして、それが「何であるか」は次回にさせて頂きます。
少し、話題が外れますが、キュッヘルさんとの談笑のなかで、今でも気になっていることですが、ウイーンフィルのヴァイオリンセクションの奏者は、弦を抑える左手のビブラートは掛けない様に演奏するとの事で、この点ベルリンフィルの奏者との大きな違いと言われていたのが印象に残ります。それ以後は、ベルリンフィルとの「音」の差に注力しているのですが、それは音楽表現の差に影響するのでしょう。未熟な私如きに理解は出来ませんので、私の残り少ない人生の音楽鑑賞力への課題として楽しむことにしています。

鈴木信行 :すずき のぶゆき

昭和45年勤務先のアイワ株式会社をスピンアウトして独立。

磁気記録に関る計測機器の製造販売の事業を開始し、その後カーエレクトロニクスの受託設計の事業を始める。

何れの事業も順調に発展したが、会長の永年の思いであった、ハイエンドオーディオの自社ブランドを立ち上げ、現在はカーエレクトロニクスの事業を主とし、協同電子エンジニアリング(株)として運営している。

現在、協同電子エンジニアリング(株)の取締役会長として、趣味のオーディオを健全に発展させたいと真摯に研究し、開発に勤めている。

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