会長のコラム 161
不景気の代名詞に「ニッパチ」と言うのがあります、それに当たる今年の2月、不景気は何時もの事、おまけが付いて不吉な兆候がメジロ押しでした。
中でも、気になるのが、世界的金融破たんが噂され、そのヘッジに有効な通貨が「円」であると言って一気に円高になりました。「円が安全通貨でヘッジ役?」それは、初めて聴く事でビックリであります。円安を目当てにしたマイナス金利は、何だったのか、日銀総裁たるもの、そんな初歩的な現象が読めなかったのか、金融業界は賭博以上の賭博、そんな事で済むのでしょうか。
西側世界とロシアの関係、これも少し勉強してみると恐ろしい背景が浮かび上がりますね、日経新聞のコラムで「プーチンは恐ろしいワル」と言い切っています。ここ暫く、海外へのオペラ鑑賞に行っていません。脊柱管狭窄症の影響も大きいのですがね。
先日、オペラ好きの友人が来宅され、観る機会を逸していた保有のB.Dのオペラパッケージの封を切りました。リチートラ出演のオペラ/「トゥーランドット」、事故死する1年前のソフトで、アレーナ・ディ・ベローナ でのライブ録画ものです。流石素晴らしかった、もっと早くに観るべきであったと反省です。特に、アリア「誰も寝てはならぬ」で、リチートラはアンコールに応えるのですが、何とその出来栄えが本番よりも良いのです。これって、リチートラともあろう一流歌手も人間なのですね、感情の持ち主なのです、観客の熱狂に応えているのです。だから「生」の舞台は面白い。アレーナ・ディ・ベローナにまた行きたくなりました。
今月の神奈川フィル定期演奏会は、2月13日土曜14時開演のみなとみらいホールシリーズと20日15時開演の神奈川県立音楽堂シリーズの2演目、それぞれに行ってきました。みなとみらいシリーズは、細川俊夫/「光に満ちた息のように」、ワーグナー/歌劇「ローエングリン」より第1幕への前奏曲、ベートーベン/ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための三重協奏曲の3曲が前ステージ。ベートーベン/交響曲第7番が後ステージで演奏されました。常任指揮者の川瀬賢太郎の選曲意図として、細川氏の曲はEの音で終わり、「ローエングリーン」の一幕への前奏曲がAで始まる。これは、「雑踏のなかから急にコンサートホールに入る聴衆の方々に宮田まゆみさんの笙を聞いて耳を洗って貰う、そしてドイツ音楽の王道、ベートーベン、ワーグナーへと導く素晴らしい幕開け」、これが意図だそうです。
言われてみると成る程と思うのでありますが、ワーグナー/ローエングリーンとベートーベン交響曲第7番は、何も言う事の無いポピュラーバージョンであります。特に、ベートーベンの7番は、若いときから良く聴いた曲で、なかでも、カルロス・クライバーのウイーンフィルのものが好きで、何時も手元に置いていたものです。この聞きなれた曲もこの歳になって、生で聴くと、これまた新しい感動が湧くから音楽は止められません。終楽章の中頃でしょうか、私、スコアーが読めないので正確に場所を指摘出来ませんが、トランペットとオケの掛け合い部分が、まるでジャズのフレーズと思ってしまう、ベートーベンの新しい側面を感じ、早速この箇所をレコードのカルロス・クライバー版で探したのですが、聴きとれませんでした。それ程までに生オケの現場で受ける感傷は強烈なので、オーディオ機器が如何に発達しようとも生音楽は永遠である事に改めて感じ入ったしだいです。
補足ですが、カルロス・クライバーは、録音嫌いでは有りませんが、演奏内容も録音技術も納得の行くものでないと許可しなかったと聞きます。そのためか、カルロス・クライバーのレコードには外れが無いものの、作品数が極端に少ないのは、そのためと言われています。
一般的に、オペラのレコードには良いものが少ないのですが、クライバーの「椿姫」は素晴らしいです、オペラレコードの最右翼と言われるショルティーの「リング」に匹敵する出来栄えです。
デジタル時代になって、いろいろなフォーマットが出ていますが、旧来のアナログレコードの音楽ソフトには素晴らしいものが多いです。デジタル・フォーマットも結構ですが、作る側の理屈(手離れが良い)を優先するものが多く、「ハイ-レゾ」だから良いと言う理屈は如何なものかと思うのです。良いものを「じっくり作る」職人根性が求められるアナログ作品には、その良いものが多く存在します、それを残す文化を大切にしたいものです。
話が長くなってしまいました。次に、神奈川県立音楽堂の神奈川フィル定期演奏会に付いてです。先週土曜に続いて15時開演で神奈川フィル定期演奏会が、神奈川音楽堂にて行われました。当日の指揮が野平一郎、演目は前ステージがモーツアルト/ピアノ協奏曲27番 野平一郎の弾き振り、ベンジャミン/3つのインベンション、そして後ステージがハイドン/交響曲104番でした。
指揮の野平は、東京芸大作曲科教授の傍ら演奏活動も行っており、数々の賞を取っている指揮者であり、ピアニストであります。当日は、コンサート前に野平のトークがあり、演奏前の思いなどが語られ、モーツアルト/ピアノ協奏曲27番の弾き振りに付いて思いを述べていました。この曲の弾き振りに付いて私流に言わせて貰うと何と言っても、ダニエル・バレンボイムが堪らなく好きです、その演奏が私の脳裏に焼き付いているから、野平の生演奏でも受ける感動に新たなるものは無かったのかも知れません。
この曲は、モーツアルトの最後の作品で亡くなる年の始め1791年1月5日と彼自身の目録に記されていて間違いないと言われているのですが、研究家は使用された自筆譜の紙質などから1787年から使用していたもので、その当時から書き始めたものと言うのが定説のようです。いずれにしても、力みのない自然でデリケートな陰影に富み、そこにはギラギラした意識から解き放たれた静けさを感じ、死を予期していたと思うのですが、それは後世の者達の思い過ごしで、彼の生来の性格ではなかったかと言うのが定説のようです。
しかし、この第2楽章と言い、第3楽章と言い、何と表現すれば良いのか、バレンボイム、ハスキル、内田光子、など多くのモーツアルト弾きのそれぞれが表現する感傷が、演奏と言う手段を経て表現され、私如き者に野平の演奏に付いて語ることなど、とても出来ないのが本音であります。
アレーナ・ディ・ベローナの事を書いたついでに、オペラ歌手の岡村喬生さんの事をお話ししたくなりました。私の住むケアーマンションに見学にお越し頂くようお勧めし、会食の機会を持ちました。結論的には、施設内にレッスンスタジオを設ける事が出来ないと言う事で、入居の遡上には乗りませんでした。
岡村さんは、ここアレーナ・ディ・ベローナにてドミンゴと協演デビューしています。岡村さんが引率するオペラ鑑賞ツアーで、アレーナ・ディ・ベローナに来たときは、アレーナ迄徒歩で行ける市内のホテルに泊まれたのです。ここベローナには、ホテルの客室が足りませんので、近隣の町に泊まりバスでアレーナにくる場合が多いのです。
このイタリアの古い町の大イベントの夜は、素晴らしいです。明け方近くまで町は歓騒状態で、オペラアリアを歌い歩く酔っ払い連中で溢れる町であり、終演後に素早くバスに乗りホテルに帰るのは勿体ないですが、私の数度の訪問もこの手のものでした。
また、岡村さんは大変な健啖家でもあり、美食家であり、美味しい店を選りすぐってバスを走らせます。これまた、旅行社の出来ない旅が楽しめました。最近ではこのオペラ・ツアーも中断していて、残念でありますが、手作りのツアーのためもあって、今の世界情勢では、一層難しいものとなってしまいました。