会長のコラム 164
忙しい5月でした。10日間続いた大型連休は、就活ならぬ終活に入る準備を計画していましたが、101歳の母親が連休中に亡くなって、殆どの時間をそれに費やしてしまいました。医者の死亡証明には老衰と記してありましたが、本人は意識の無いままに半年生命を維持しましたから大往生なのでしょう。連休中のことで、全ての知人にはオフレコ厳守、家族で静かに見送りました。満100歳を迎えると、内閣総理大臣から表彰状と記念品が贈られるのですね、知りませんでした。それにしても80歳の我が身に葬式の行事とそれに伴う諸手続きは大変でした。
連休明けから、ウイーン・フォルクスオーパーが2演目、新国立劇場が1演目とオペラ公演ラッシュでありまして、全てが1年前からの計画。本来、喪に伏す期間でありますが、このチケット代金も家内と2人合わせて20万円ほどになりますから、喪に伏しての粛清とはいきませんこと、お母さんご免であります。
フォルクスオーパーの2演目「チャルダーシュの女王」と「こうもり」、新国立劇場の「ローエングリン」と続き、神奈川フィルの定期演奏会、みなとみらいホールでのバロックコンサートなどが続きました。
毎度のこと夜のオペラ公演は、殆どが終演時間22時頃ですから後が大変です。以前は、都心のホテルに宿泊していたのですが、カネが掛かる割に意外に疲れが残る事に気が付き、最近では車で行って、素早く帰ることにし、横浜の自宅に着くのが23時頃で、それからワインを抜栓し、バケットを切ってチーズ、生ハム、レタス、サラダ菜とまるでドイツ人の食卓の如きですが、オペラの後はこれを贅沢に感じるものです。
フォルクスオーパーの二つのオペレッタは、第一次世界大戦直前に完成し、大成功した作品であり、退廃した貴族社会の様子を滑稽に表しています。その大戦後の社会を題材にした映画「会議は踊る」がありました。そして、大戦後のヨーロッパは、未曽有の不幸な結果として歴史に残り、指導階級の退廃が社会に及ぼす恐ろしい結果として敗戦国、先勝国を問わず、大衆を襲うことになります。贅沢な生活は、誰にでも捨て難いのです。我々もその轍を踏まない様に過去歴の勉強をすべきと思うのであります。今の社会も、財政赤字を続けて、民衆は権利ばかりを主張して国債の発行を続けています。それで良いのか、後世の人達から「退廃した人々」と後ろ指を指されることになりそうです。
新国立劇場のオペラ/「ローエングリン」の公演は素晴らしかった。タイトルロールのローエングリンを演じるクラウス・フロリアン・フォークトは、今、世界一のテノール歌手であり、ワグナー歌い、相手役のマヌエラ・ウールもそれに相応しい実力ナンバーワンのソプラノであります。そして指揮が音楽監督自ら指揮台に立つ飯守泰次郎、オーケストラが東京フィルハーモニー、友人のコントラバス首席の黒木岩寿さんがピットインしていました。
新国立劇場の公演では、新年度シーズンの始めにシリーズ全てのプルミエ公演をまとめ買いしています。と言うのも、初日公演には、各界の名士の方々が結構いらしていて、私如きも時々お声掛け頂く事があります。何にも増して、一括購入のメリットは良い席があてがわれると感じていることです。
次に、久しぶりにオーディオ機器の「音」に付いて話をすることにします。
オーディオ機器は、工業商品であり技術偏向型商品であります。しかし、物理特性が優れているから「優れた商品」と言う訳には行かないところに難しさがあります。機器である商品は、「音」が良いことが絶対条件ですが、何を以て「良い音」と言うのか、その定義が有りません。しかし、音楽と言う芸術を表現する道具と考えると、商品の姿が自ずと求める姿として見えてくるのです。言い替えると、芸術の表現を念頭に置いて、ものづくりを考えることにあると思います。
レコード再生の場合、ピックアップ・カートリッジに始まり、スピーカーに至るまで色々なアンプや機器を経由して音が再生されるので、その間に複数メーカーの機器を経由しますから、間の機器を入れ替える度に、再生される音楽は別物に変わります。この系のなかで、当社で作っていないものはレコードプレーヤーとスピーカーだけなのですが、それでも、音楽再生の観点から、不本意な結果を招くことがあります。それは、スピーカーの選択と部屋のマッチングを間違えているときで、我々の求める「生らしさ」を再生するポイントと考えます。
オーディオ機器に良い「音」を求める設計のポイントは、信号源、供給電源、それぞれの送り側インピーダンスをゼロに、受ける側のインピーダンスを無限大にと言う、この世に有りえない条件を満たす事にあると考えます。だから、所詮は神のみが知る世界であり、我々の出来る事は限りなく、その条件に近付けることであります。
「デジタルオーディオは音が良い」と言うことを宣伝文句によく見かけます。「デジタルオーディオも音が良い」と言い替えるべきで、過去、新技術が生まれる度に「これだ」と言われ続けてきましたが、結局は何時も後戻りするわけです。「ハイ・レゾだから」、「インピーダンスマッチングが取れているから」などの理由付けは、良い音の決定的理由にはなりません。私が言う「この世に有りえない条件」をクリヤーする以外に究極を求めることは出来ないと言うことで、オーディオ機器の「音」選びは、作り手の「マインド」に左右されると言う事を心得るべきです。
「お前のマインドは何か」と問われるなら、それは「ハッ!」とする「生演奏」を思わせる「生らしさ」であります。この「らしさ」と言うのは、その人の音楽に対する理解度や感性からくるもので、聞き手のキャリア、いやいや、むしろ「哲学」かも知れません。