会長のコラム 095
芸術の秋と言われるだけあって、9月以来音楽のラッシュが続いており、11月も相変わらずコンサートのラッシュでした。加えて観光の季節でもありますから音楽に関係の無い仲間からは、ゴルフだとか旅行に誘われるので、二つの体が欲しくなります。そのような訳で、全てのコンサートを書くのもマンネリになってしまいそうで、今月は大きく端折って書くことにします。と言う事で、下記に絞りますがそれでも長くなりそうです、中身を更に絞って書きますので最後までお付き合い下さい。
1.都響スペシャル「横浜公演」
2.ズービン・メータ率いるイスラエル・フィルハーモニー
3.鷲見恵理子の紀尾井ホールコンサート
4.バッハへの旅同窓会
5.紅葉狩りに京都へ
6.九州へ食の旅
1.都響スペシャル「横浜公演」
東京都交響楽団の横浜みなとみらいホール公演という事で、神奈川フィルハーモーニーとの違いを確認をしたくて出かけました。
此処みなとみらいホールは、神奈川フィルのホームグランドでありまして、ここでの演奏は、耳に蛸が出来るほどに聴きなれています。此処で、同じように自治体による経営であり、同じ境遇であります。東京都交響楽団が演奏するのですから、興味深深であります。同じような境遇とは言うものの、東京都と神奈川県では金持ちの度合いが大分違いますから、楽団員のレベル差も違うように思っています。しかし、音楽に対する姿勢や熱意は文化都市横浜に「分」あると贔屓めに踏んでいました。
当日の出演者は、指揮がドミトリー・シトコヴェツキー、ピアノ独奏がジャン=フイリップ・コラール、コンサートマスターが山本友重でした。
演奏曲目が、ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」、サン・サーンス/ビアノ協奏曲第2番、リムスキー・コルサコフ/交響曲「シエヘラザード」。
比較的ポピュラーな聴きなれた曲目でしたから、当初の私の目的に叶うものでした。特に「シエヘラード」は比較的最近に神奈川フィルが演奏していましたから余計に違いを感じ取ることが出来たと思います。そして、「シエラザード」はコンサートマスターのソロが演奏の印象を左右しますから興味が湧きます。結果はやはり、オーケストラのレベルから言うと残念ですが都響が上ですね。コンサートマスターのソロは神奈川フィルの石田ほうが私は好きです。指揮者の現田茂夫との差もありますが、オーケストラの技量の差、アンサンブルの差はどうしても感じ取れてなりません。
2.ズービン・メータ率いるイスラエル・フィルハーモニー
この公演は、桁が違いますね。文化会館でのオーケストラ演奏ですが、始めから終わりまで鳥肌が立ち通しのスリリングな演奏でした。
曲目は、ストラヴィンスキー・バレエ音楽「春の祭典」
マーラー/交響曲第1番「巨人」
チケット料 22.000円 S席 (これだけの中身は決して高くない)
ズービン・メータは、1977年からイスラエル・フィルの音楽監督を務めており、これだけ永く関係を持ち続けているからこそ出来る芸当でしょう。当日の興奮状態は、レコード再生からは絶対に味わう事の出来ないスリリングな感激でありました。この興奮状況を何とか再現出来ないかとの思いで、オーディオ業を営んでいるのですが、その私がこんな事を言っているようでは仕方ないと思いつつ、兎に角素晴らしい鳥肌が立つスリリングな興奮としか表現出来ないのは私の未熟としか言いようが有りません。
ウイーンフィルもサイトウキネンも悪くない。しかし、メータ率いるイスラエルフィルの背水の陣を思わせる演奏からは、聞き手にスリリングな感じを持たせる何かが有るのでは、そして演奏に対する真摯な姿勢から醸す音楽は、強烈なオーラを発して止まない、久し振りに味会う興奮でありました。
3.鷲見恵理子の紀尾井ホールコンサート
以前にもこのコラムにて、この人のCDを紹介しました。祖父が鷲見三郎氏で、その門下生には日本を代表するバイオリニストが大勢おられます。そのような家庭環境の中で育ったバイオリニストですから、悪いはずは無いのですが知名度は今一と言うところでしょうか。とは言うものの、ミラノに在住しヨーロッパの音楽文化の中心であるイタリア、オーストリアを舞台に活躍しソリストとしての実力を買われています。そして、音楽コンクールの審査員なども勤めておりますから、その実力は半端なものでは有りません。
人柄が大変真面目な人で、演奏曲目なども敢えて難しいものを取り上げる傾向があります。
逆に、これが彼女のコンサート人気に影響しているのではないかと私は思うのです。彼女のアンコールバージョンを聞いていると実にその素晴らしい才能が私ごとき者にも伝わってきます。そして、彼女の使用しているヴァイオリンがグァルネリウス1686年で、ここからかもす音楽は実に素晴らしいものであります。
この鷲見恵理子が11月13日に東京文化会館にてリサイタルをおこないました、ピアノ伴奏が林絵里、ゲスト出演としてNHKテレビ/イタリア語会話でお馴染みの ダリオ・ポニッスイがギターを以って応援ゲスト出演しており、楽しいコンサートでした。
4.バッハへの旅同窓会
音楽は、「ワグナーだ」といわんばかりの強烈なワグナーファンをワグネリアンなどと云っていますが、バッハに付いても劣らない熱心なファンがおられます。
このコラムでも紹介しましたが、音楽評論家の加藤浩子さんが、バッハ没後250年を記念する、ツアーを2000年に始めて以来今年で10年続いて11回目になるそうです。私は、2008に参加したのですが、この同窓会は、そのツアーに参加した人たちが一同に集まってバッハへの思いを語る会になっております。バッハが好きでツアーに参加した人達がツアー当時の思い出話に花が咲き、同好の士の会話の面白さや、熱心に深く追求している士の話など話題に尽きることは有りません。この中には毎年ツアーに参加していると言う侍もおりますが、私などはとてもそのレベルに達するものでは有りません。
5.紅葉狩りに京都へ
私が、ここ横浜市都筑区に会社を設立して42年になります。今では、ララポートのような大型ショッピングセンターが出来ていて当時の様子は思い浮かびません、設立当初は酷いインフラでありまして多目の雨がふると冠水、長雨だと汁粉のような道路でした。だから、隣近所の経営者仲間は自然と協力体制が出来て、車のスリップなどの時は車押しをして助け合ったものです。
会社の事業は、栄枯盛衰でありまして以前から開業していようと、後から開業しようと、それこそ年々歳々、栄枯盛衰であります。そのなかで、未だに当時と変わりなく近所で経営を営んでおらける方がおられ何かと親しくさせて頂いております。
その人達と会を作りご夫妻でのお付き合いをしています。今年は、京都に紅葉をということで計画したのですが、紅葉は予定よりも10日も遅れたとの事で京都の定番神社では早すぎでした。観光タクシーの運転手さんに何処か紅葉は無いかと詰寄る有様で、尋ねた先が京都の奥のはずれ、北山杉の産地のその先で皇室縁の「常照寺」まで足をのばしました。それでも写真のような紅葉状態で早すぎの感は免れませんでしたが、此処までは京都観光のプロでなければ中々来ないのでないでしょうか。
運転手さんが、此処まで来たのだから美山町の「かやぶきの里・北村」まで行きましょうと言うので。京都府のなかにも、かやぶきの集落があること事態を知りませんでしたから、二つ返事で行く事にしました。ここは、観光地としては、未開に近く訪れる人もまばらでしたが、それだけに質素でスケッチを楽しむ優雅な人達の姿が印象的でありました。
ここ北村は、50戸の集落で38棟がかやぶきとの事、全国で岐阜県白河、福島県大内宿に次ぐ全国3位だそうで、宝ものを発見した思いでした。
かやぶきの里・北村 | 常照寺正面 |
6.九州へ食の旅
このグループは、十数年前日本経済新聞社が主催していたベンチャー企業の会に参加していた人達の集まりであり、ご夫妻同伴での参加が原則の会です。
ツアーは、朝8:15の羽田発長崎行きの飛行機に乗るところから始まります、ハウステンボスで1泊、北九州先端の魚庵千畳敷にて河豚会席のあと小倉で1泊、湯布院に移動して1泊と計3泊の食を主体とした会でした。
ハウステンボスは、開園間際に一度行っていまして、あまり良い印象は残っておりませんでしたが、最近HISに経営権が移り新生ハウステンボスとして新たな企画で再スタートしたとの事で、HISに関わる会員の方のお勧めがあって、おとずれました。確かに、イベントやライティング、イルミネーションに趣向を凝らし、ハウステンボスでなければ味わえない趣向にめぐり合えました。
新趣向のイベント ゴスペルのライブ | 新趣向のイベント イルミネーション |
翌日は、チャーターバスにて伊万里、呼子を経由して北九州最北端の千畳敷に行きます。
伊万里の焼窯元は、今でこそ観光地化していますが、その昔は出入り口に関所のようなものがあって職人の出入りを厳しく監視していたとの事、そしてここで一生を過ごした職人の墓所も近くにあります。坂道に密集する窯元の窯跡などからその職人達の悲惨な様子を想像する事が出来ますが、今では、窯元をアッピールして焼物を売る売り場として洒落た店構えを誇張していますから、ガイドの話しが無ければ、昔の面影を感じることは有りません。
観光バスは、昼食の場所である呼子「玄海」へと向かいます。玄海灘に面したこの地方は正しく魚の産地でありまして、この地で取れた烏賊や鯛を生簀で保存したものを食するのが常日頃の食生活と言うから、流石に旨いです。この土地の人達はコリコリしない刺身など食べられないと言います。ここの刺身や魚料理を食べにもう一度で直したたいと思ったのは私だけではないようでした。ここで、ゆっくり昼食を済ませ、途中宗像大社を参拝して千畳敷に向かいます。
夕食は、ここ魚庵「千畳敷」にて河豚懐石を予定していますが、この料亭の売りであります夕日は、未だ5:00時と言うのにすっかり更けてしまい、折角の夕日を拝めませんでした。
長いバスの移動で些か疲れましたが、いきなり料亭に入るのですから一寸計画に無理が有って違和感を感じましたが、更に残念な事に、ここのふぐ料理は本場のはずにも拘らず、河豚の味を失うような濃い味付けで、観光客の舌を見くびっているようで些か残念でありました。ここには2度と来る事は無いでしょう。とは云うものの、私が河豚の味を経験した最初の料亭がここであったと言うのも皮肉な経験であります。
夕食後は、小倉のホテルに移動し長い一日を終わる事になります。翌朝は、小倉から博多に移動し「ゆふいんの森号」と言う特急に乗って湯布院に移動します。
湯布院には、午前11:00に到着しました、今夜宿泊する旅館「玉の湯」の番頭さんが向かえに来ておりましたが、チェックインは3:00からになりますので、荷物を預かって旅館まで運んでくれるサービスです。それまで、手ぶらで観光となります。この街は、何故かコーヒーが似合う町であり、温泉町と言う匂いが無く不思議な雰囲気です、そしてオーディオを売りにする旅館やレストラン、喫茶店が10軒ほどあるとの事です。中でも有名なのがWEのホーンスピーカーを置いている旅館なのですが、町の一番外れにあって尋ねる時間がありませんでした。何処の店にはどんなオーディオ装置があるか、宿の人が教えてくれましたが、不思議にタンノイのスピーカーを置いている店が圧倒的に多いのには、不思議であります、温泉街組合で奨励でもしているのか、その店のオーナー達にあまり知識が無いのか、などと余計に事を考えてしまいます。何れこの件に関しては再度訪問して確かめたいと思っています。それから、観光客に韓国人が異様多いのには驚きました。
湯布院 旅館玉の湯の中 (向こうの格子戸が私の部屋) |
全ての客室が戸建になっており、外廊下で繋がっている構造です。そして、部屋ごと立派な温泉が引いてあります。この様な、構造の宿は東京近辺の箱根、湯河原、伊豆高原でよく見かけますが、サービスを含めた価値観、コストパフォーマンスから言うとこちらに軍配を上げざるを得ないでしょう。