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colums会長のコラム

会長のコラム 041

2月26日出発で3月9日までの13日間イタリアオペラツアーに行ってきました。
今回の演目は、ミラノスカラ座での「連隊の娘」で主演のフローレスをスカラ座で鑑賞すること、パレルモマッシモ劇場での「椿姫」そして、カターニアのベッリーニ劇場での「ノルマ」の3本です。

パレルモマッシモ劇場

フローレス出演の「連隊の娘」は昨年日本公演のときオーチャードホールにて鑑賞したのですが、今回はミラノスカラ座での鑑賞ということで期待していました、しかし、フローレスは日本公演のときのように例のアリアをアンコールしませんでした。
このフローレスと言う人は、常に最上の出来を披露する事で定評のある歌手です。スカラ座での出来も素晴らしいものでしたが、日本公演のような熱狂的な喝采は無く、極普通の喝采と言う程度でした。これはスカラ座のお客さんが、常々最上の公演を見慣れているためなのでしょう、その様に考えると、当日の喝采の情況も理解できます。ならば、日本公演での熱心観客に応えるフローレスの方がずっと魅力的です、ミラノまで行く必要があったのか、それ程ブランド志向する齢でもあるまいし、如何なものであろうか。

ミラノには、時差調整を含めて4泊しました、到着したその日は夜8時のチェックインですから何も出来ず、翌日も殆ど死に体です。オペラの鑑賞中に時差ぼけの睡魔は絶対に避けるべきです。翌々日からその時差ぼけ解消と言うことで、ベルディーが自分の財産を投じて音楽家の為の老人ホーム(憩いの家)を造ったことは、NHKの取材番組で紹介されていましたが、今回音楽評論家の加藤浩子氏の骨折りでそのホームを見学することが出来ました。
当日は、日本の音楽愛好家の訪問と言うことでホーム側から大歓迎を受け、ここに入居している音楽家によるコンサートのもてなしを受けました。ここのコンサートホールはパイプオルガンが設置された立派なもので、日本で言う老人ホームの面影は全く有りません。コンサートはここの事務長のピアノ伴奏でフルートとソプラノ独唱でしたが、特に印象に残ったのは年齢不明の(恐らく70歳台の中ごろ)ソプラノ歌手であられた方のソプラノ独唱で、特にアベマリアは何か身につまされるもものを感じてしまいました。

ソプラノを披露する入居者

彼女のキャリアを聞きましたところ、ご主人が現役時代オーケストラの指揮者勤められていた時、ご主人の指揮でオペラのプリマドンナとして歌っている時のこと、舞台の濡れ場場面でご主人からものすごい目で睨まれて以来オペラへの出演をやめたそうです。
当日のこのコンサートは今回の旅一番の感激で、此れだけで、今回の旅行のかいが有ったと言っても過言では有りません。

スカラ座でのオペラ鑑賞の翌日は、朝ゆっくり目にミラノから航空機でシチリア島パレルモへ移動します。着後パレルモの市内観光をしてホテルチェックイン、明日に備えます。翌日は、オペラ鑑賞までの間マッシモ劇場の内部見学です。
このマッシモ劇場ですが、マッシモと言うだけあって、劇場の容積はミラノスカラ座よりも大きいそうで、客席は1300と控えめの為か座席が全て両肘付と言う贅沢な劇場です。地方都市にこの様な世界レベルの立派なオペラ劇場が有るのですからすごい事です。
ここでの公演は、「椿姫」です。久方ぶりの「ザ・プリマドンナ オペラ」を見た感じで、素晴らしい出来栄えでした。この舞台は、フィレンツェ5月音楽祭のものだそうです。ソプラノは「CINZIA FORTE」、まだ若いのですが大変な実力で、嘗て私が経験した、あの来日イタリアオペラのレベルと言っても過言ではない素晴らしい舞台で鑑賞中は鳥肌が立ち通しでした。

翌朝はゆっくり目に陸路カターニアを経由してタオルミーナに向けて出発します、ここタオルミーナには一昨年訪れまして、あまりの素晴らしさに家内とまた行きたいと話していたところでした。ここタオルミーナでは特に目的は無く2泊の予定で休養に専念します。
ここタオルミーナは、紀元前数百年に形成された町で、外敵から守るために崖にへばり付いた様に形成されており、海岸線からほぼ垂直に立ち上がった岩肌にホテルが張り付いているように見えます。現在では、ローマの遺跡と観光施設以外には何も無く、まれに見る景観の、のんびりと過すリゾート地です。

ホテルのレストランこの下が崖

さて、ここでの休養を終えて、陸路でカターニアにもどります。カターニアではオペラ「カバレリア・ルスチカーナ」の原作者ヴェルガモの生家やオペラの題材地を見学し、ヴエリーニ劇場でオペラ「ノルマ」の鑑賞予定になっており、このレポートと帰国時のハプニングなどを次回のコラムでご紹介いたします。

鈴木信行 :すずき のぶゆき

昭和45年勤務先のアイワ株式会社をスピンアウトして独立。

磁気記録に関る計測機器の製造販売の事業を開始し、その後カーエレクトロニクスの受託設計の事業を始める。

何れの事業も順調に発展したが、会長の永年の思いであった、ハイエンドオーディオの自社ブランドを立ち上げ、現在はカーエレクトロニクスの事業を主とし、協同電子エンジニアリング(株)として運営している。

現在、協同電子エンジニアリング(株)の取締役会長として、趣味のオーディオを健全に発展させたいと真摯に研究し、開発に勤めている。

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