会長のコラム 046
6月30日は恒例の高輪オペラの会、そして7月1日が東京文化会館にてイタリア スポレヘト劇場の日本引越し公演によるオペラ「セビリアの理髪師」の観劇と、2日連続のオペラ鑑賞となりました。
高輪オペラの会は前回3月31日公演の水口聡のテノールをレポートしましたが、今回は高橋薫子(タカハシ ノブコ)のソプラノと望月哲也のテノールによるオペラ「ロメオとジュリエット」が演奏されました。
高橋薫子は、声も良く容姿も良いので、オペラ歌手としての評価も高く出番の多い人です、一方の望月哲也は、私が聴くのは始めてでした。この人は、なかなか声量も有って実力のある歌手と見ましたが、若さのせいか細部はやや荒っぽく高橋とは、決して良いアンサンブルと言う訳には行きませんでしたが、河原忠之のダイナミックなピアノ伴奏に支えられて聞き応えのあるステージであった事に加えて、前から2番目の真ん中と言う良い席での高橋のソプラノを聴いた事で、この上無い至福の時を過ごせました。この河原忠之は、この会の音楽監督を務めており、毎回彼の編曲による自作のピアノ伴奏にて進行するのですが、毎度の事ながらオーケストラを思わせる演奏技術は素晴らしいものです。
グノー作曲のこのオペラは、フランス匂の良い音楽ですが、演奏される機会は比較的少ないようです。このオペラは私の思うに、グノーの「アベマリア」の世界をイメージするものがあり、たいへん抽象的な表現ですが、私のこのオペラへの思いを何となく、表現していると思えるのです。それは、終幕前のロメオが息を引き取る悲劇の場面が長調で演奏される事に有るような気がします、この様な悲劇の場面は短調が一般的ですが、ここがグノーのグノーたる所以ではないかと思うからです。
もうひとつ、シェイクスピアの原作ではジュリエットが生き返る前にロメオは死んでしまいますが、オペラでは生きた状態で二人が会えて二重唱を歌ってからロメオが死にます。これは、最後に二重唱を歌うのがオペラの定石だからと考えますが、この辺りはオペラは実に楽しい至福の芸術と思うのですが、如何でしょうか。
翌、7月1日日曜日は、イタリア スポーレート歌劇場の引越し公演です。この公演は何と言ってもテノールの「アントニーノ・シラグーザ」の出演が話題で、東京文化会館の全ての席が満席でした。
イタリアのスポレートと言う町には行ったことは有りませんし、歌劇場にも行ったことはありません。このスポレート歌劇場で行われる実験歌劇場コンクールが有名で、実力はあるものの世に出る機会の無い若手に道を開くことを目的に運営されるもので、このコンクール出身の歌手にはアンナ・モッフォなど有名な歌手たちが沢山おり、その面で有名なオペラ劇場であります。
この「アントニーノ・シラグーザ」は、ロッシーニ歌いとして今人気が高く、特にこのセビリアは当たり役と言われている人です。私もその評判に釣られて赴いた事は否定しませんが、このところイタリアの歌劇場の日本引越し公演は、今年の3月にイタリアに行った折のベッリーニ劇場のオペラ「ノルマ」を観て以来感じた事ですが、侮れない気合の入った公演である事を断言します。今の心境は、手間を掛けてのイタリア観劇詣でに疑問を感じています。その時にも書きましたが、本国での公演よりも日本公演の方が素晴らしかったと言う事です。
その「アントニーノ・シラグーザ」ですが、「ファン・ディエゴ・フローレス」と比べてどうかと云われると、即座に「フローレス」に軍配をあげざるを得ません。しかし、言い換えると今のイタリアにはテノールの歌手層がそれだけ厚いと言う事が言えるのではないでしょうか。
海外旅行はどうしても疲労が伴い、感覚が鈍くなることもあって、評価も正確さを欠くこともあろうかと思いますが、現地の観客は結構マナーが悪く、平気で「ブー」を飛ばすし、カメラのフラッシュは焚くし、我々外国人に良い席を回さないこともあって、それを考えると、この公演のS席は安い(2万3千円)と考えますが如何でしょうか。
当日のオーケストラ演奏も大変素晴らしいものでした、新国立劇場の東京フィルの演奏とは次元が違います。あのロッシーニの演奏フィーリングは何処から出てくるのでしょうか、東京文化会館の音響の素晴らしさを改めて感じ入るものですが、楽しさ、素晴らしさは、その影響だけでは無い様に思います。