会長のコラム 032
イタリアの「オペラフェスティバル観てある記」
ご存知イタリアの夏は、オペラフェスティバルの花盛りで、夏休みを利用してオペラ歌手の岡村喬生さんとのツアーレポートです。
ツアーは、かの有名なアリーナ・ディ・ヴェローナからはじまります。そしてペーザロのロッシーニフェスティバル、トーレ・デル・ラーゴのプッチーニフェスティバルの順に廻りました。
日本からイタリアへの直行便は、ローマかミラノへのどちらかへの着ですから、今回はこの順に南へ下りて来るコースを選びます。
成田出発は、午後の比較的早い時間に出発し、日の暮れないままにその日の夕刻ミラノに到着します。飛行機の中に約12時間拘束されますから、到着後ホテルに落ち着くのは日本時間で午前3時とか4時ですから疲労も限界です。当然の事ながら床に入っても我々の体内時計は、朝も朝、働く時間ですから、現地の深夜に目が覚めます。
そんなわけで、翌日は1日ミラノでの時差調整と休養ですが、主催者側としては、ダビンチの「最後の晩餐」を見に行くのが毎度の行事のようなものですから、買い物に興味の無い私は他に行く所が無く、何度となく付き合ってしまいます。これしか無いのもミラノでしょう。
翌日は、ヴェローナにバスで移動です。途中ドニゼッティーの生まれた町ベルガモを経由しますので昼食を兼ねて市内見物と博物館の見学です。早めにヴェローナのホテル「DUE TORRI BAGLIONI」にチェックインして夜のオペラ鑑賞にそなえます。
さて、アレーナ・ディ・ヴェローナのオペラはヴェルディーの「アイーダ」です。
このフェスティバルは毎年新人の発掘が有名で、ここでデビューして世界的オペラ歌手に出世した人が沢山います。また、ここでの「アイーダ」は特に有名で毎年の演出が話題になります。そんなわけで今年は象でも出るのではないかと期待したのですが出ませんでした。しかし、その舞台はスケールの大きな物で流石と思わせるものでした。
野外オペラは、劇場のような反響が有りませんから聞こえて来る音は大部分がダイレクトトーンです。ですから歌手やオーケストラを裸にしてしまう傾向があり、正しく実力の葛藤の場になります。今回の舞台では、テノールの出来が今一でその容姿もかなりのデブと頂けなかった事と、神官役のバリトンバスの声がなかなかなもので、この声が基準になってしまいソプラノも出来は悪くないのですが声量に不満を感じてしまいました。
しかし、何と言っても終盤の良い所で雨に見舞われ続行中止は残念でした。それでも、終了は午前12時近くで、途中ワインで有名な店に寄ってオペラ談議に終始します。なにしろ岡村喬生さんの話が面白い。ホテルには午前2時頃入って、翌日はゆっくりヴェローナで過ごします。
一日置いて、翌日はロッシーニの生まれたペーザロに移動します。途中イタリア国内に存立する小さな独立国サン・マリノ共和国を見学します。国の中に別の国が存在するなど我々には全く理解できない事です。市庁舎の玄関には一応衛兵がいますし、独自のパトカーも持っています。イタリア国とはどのような関係にあるのか理解できませんが、観光が主な収入源だそうです。
ここでの見学が長引いた事と昼食に時間を取られたことで、当日のロッシーニフェスティバルのオペラ「アルジェのイタリア女」開演の時間に余裕がなくなってしまい、急ぎペーザロ近郊の「PALAZZO VIVIANI HOTEL」にチェックインし、着替えもそこそこにオペラ劇場へ行きます。当日の劇場はロッシーニ劇場ではなく、体育館に特設した劇場でしたが、ここがなかなかの良い音響に驚き、さすがイタリア人はオペラ公演に執着する国民と感じ入ったものです。
当然の事ですがPAの使用は一切有りません。舞台は学芸会風であり日本的に言うと田舎芝居なのでしょうが、オーケストラと言い演出と言い歌手と言いどれをとっても素晴らしく、日本の二期会オペラとは比較しようも無いほどに完成度の高さを感じました。
オペラの終演はやはり午前零時を過ぎていました。ホテルに帰るとなんとレストランがオープンしています。例によってビールにワインにと翌日が遅いのをいい事に、オペラ談議に熱中です。なにしろ、歌手の岡村喬生さんが一緒ですから話題は尽きません。
翌日は、この素晴らしい保養地のホテル「PALAZZO VIVIANI」に滞在します。そしてその翌日、プッチーニの生まれた町ルッカへ、その近郊トーレ・デル・ラーゴでのプチーにフェスティバルへと出発します。
ここから先は次回と言う事で。