会長のコラム 096
過ぎ行く秋は、事の他早いと昔から言われますが、私の場合も9月から瞬く間に過ぎ去ってしまい、とうとう12月を迎えてしまったとの思いであります。
12月も意義あるコンサートの連続で、中でも紀尾井ホールのカルミニョーラとヴェニス・バロック・オーケストラのコンサート、そしてみなとみらいホールでのドレスデン・フィルハーモニーのマタイ受難曲の2演目に付いては、どうしても記さない訳にはいきません。その他、毎年12月に行われる中込さん(失礼私の知人です)主催の交通遺児チャリティーコンサートでの明治大学マンドリンクラブのコンサートでは、若さ溢れる美人コンサートマスターの上手さに惚れ惚れ若さを貰いました。そして、神奈川フィルの第九なども感動ものでありました。
ただでさえ、12月ともなると忘年会や何々収めなどと称した集まりが多いのですが、私とて例外では有りません。お陰で「あっ!」と言う間の12月でありました。
1.カルミニョーラとヴェニス・バロック・オーケストラのコンサート
2.ドレスデン・フィルハーモニーのバッハ/マタイ受難曲
3.石井紳一郎氏のご来社
4.今年の新商品、オーディオ各誌の評価が出揃ったところで
5.趣味に付いて思う事
1.カルミニョーラとヴェニス・バロック・オーケストラのコンサート
カルミニョーラは、現代屈指のバロック・ヴァイオリン奏者であり、1973年のパガニーニ・コンクール入賞以来のソロ活動には定評があり、使用しているヴァイオリンの1773製ストラディヴァリのガット弦は弓にねばり付く感じであります。そして、ヴェニス・バロック・オーケストラは1997に結成され現在ヨーロッパ屈指の古楽器オーケストラとして活躍しており、その名演奏の記録をCDに残しております。そして、我々オーディオマニアには、カルミニラとヴェニス・バロックオーケストラの共演によるヴィヴァルディー/四季が名演奏名録音CDとして、記録されるものであります。
12月1日にこの演奏会が、紀尾井ホールにて行われ聞いて来ました。私は、このコンビのCDを全て持っていますが、何と言っても四季のCD録音がマニアの琴線に触れるものではないでしょうか。この音が耳に染み付いておりますから、オーディオマニアとしては演奏よりも音を重視してしまい、演奏を聞いている間もこれではいけないと思い返してはまた戻ってしまう事の繰り返しでした。
オーケストラの構成はコントラバスとチェロがそれぞれ1本であり、響きの良いここ紀尾井ホールでもCDほどに低音楽器の音量は聞こえて来ませんでした。CD録音では、コントラバスとチェロはダブル録音と言う手法を使っており、聞き手に与える効果かを狙っているのですが、コンサートホールでの感動をCDの再生に求める事からこの様な工夫が必要なのでしょう。
音楽の記録は、その音質の追求の歴史として古いものがあります。オーディオの冬の季節と言われる今日この頃ですが、名録音のCDとコンサートの比較を体験した事で、その火を消さないために何か使命のようなものを感じてならない、そんな事を感じてしまう意義あるコンサートでありました。
2.ドレスデン・フィルハーモニーのバッハ/マタイ受難曲
ドレスデン聖十字架合唱団とドレスデン・フィルハーモニーによるバッハ/マタイ受難曲のコンサートを12月5日に横浜みなとみらいホールにて聴いてきました。
私ごときが、バッハ/マタイ受難曲を語る事などおこがましい事と承知していますが、バッハが、この曲を作曲した地にあこがれて、訪問してきた者の思いだけでもちょっと聞いて下さい。
バッハが、選帝侯に請われてライプツィヒ・トーマス教会のカントールに就任しなければこのマタイをはじめとする一連の宗教音楽は作曲されなかったと思います。それは、選帝侯の居城がここライプツィヒとは極めて近いドレスデンに在って、始終行き来していた深い関係にあったこと。そして布教のツールである宗教曲の作曲がバッハの使命であった事に起因するからです。
そのドレスデンのオーケストラと合唱団の来日公演ですから、バッハファンを自認する私としては絶対に行かなければなりません。休憩時間を除いても3時間を越える大曲でありますから、当然演奏の機会も限られます。しかも、地元横浜でのコンサートでありますから、ルンルン気分そのものでありました。
コンサート会場では音楽評論家の加藤浩子さんやバッハ愛好家の知り合いと会う事が出来旧交を温め合いました。しかし、コンサート後の食事の約束していた桃原さん(私のお客様であり、音楽愛好家としての友達)が見つからない。コンサート後は仕方なく家内と食事をして帰りましたが、後日談として氏も散々探したそうです。皮肉なもので同じ人には会場で何度も遭遇していたのですが。
3.石井紳一郎氏のご来社
当社のオーディオ試聴室の設計施工を監修して頂いた石井紳一郎氏です。氏は、最近試聴室の設計ではお呼びが掛かるケースが多く、中々お会いするのが難しくなっております。
私もそろそろ自分専用の試聴室を作りたいと思い、石井さんの本を勉強していまして、一応の設計は出来る様になっていますが、念の為に確認したいと思ってお会いしました。
久し振りにお会いして色々お伺いしていると、当社の試聴室完成後に数多くの試聴室を手がけられ、そのノーハウの進化は格段に進化したものであり、お話を伺っているだけでも参考になるノーハウを手に入れてしまいました。
例えば、今までですと部屋の長手方向にスピーカーをセットすべきと言っておらましたが、天井の高さがあれば、あまり設置の場所は影響しないとの事、部屋の広さと高さの関係がパソコン上でシュミレーション出来て、必要な高さが瞬時に算出できるようになっていた事は、シュミレーションソフトの大きな進化でありました。
これによって、拙宅の試聴室の構造も今まで躊躇していましたが、床を下げて天井高を稼ぐ事に決心が付いたしだいです。
これから、施工業者を選定し工事にはいりますが、完成までには暫くの時間が必要となります。このコラムでも逐次お話するようにしたいと思います。
4.今年の新商品、オーディオ各誌の評価が出揃ったところで
毎年、暮れのこの時期に、その年に発売されたオーディオ機器の中から優れた商品を表彰すると言う企画をオーディオ各誌が行っております。各誌毎に評論家が異なりますから、雑誌社によってその差はあるのですが、大方の雑誌は当社商品の出来栄えに良い評価をして頂きました。中でも、当社はステレオサウンド誌の評価を最重要としてその結果を注視しておりましたが、その評価は他誌にも増して高い評価が得られたことは、望外の結果でありまして、今後の商品開発に一層の自信が湧いてくる結果でありました。
賞には関係ないのですが、モーストリー・クラシック誌におけるオーディオ評論家の石原俊氏の評価は、これ以上の褒め言葉は無いほどに絶賛して頂き、今後の方向性に自信を持った次第であります。ちなみに、その評価された機器は当社が始めて世に問うたメインアンプの「MA-1」であります。
このメインアンプは、当社が数年の開発期間を費やして完成したもので、オーディオの入口たる「フォノ・カートリッジ」から始まり、出口のメインアップに辿るに至って、オーディオ機器の一連のシリーズが完成したことになります。スピーカーが出口かも知れませんが、当社はスピーカーに付いてこれからも手がける予定は有りませんので、これをもって大陸横断の完結と言うわけであり、今後は益々のブラッシアップと顧客サービスに努める第一歩と考えております。
5.趣味に付いて思う事
趣味とは言え、学者以上の知識を持った趣味人が居られることは、NHKの番組でも紹介され、その深さたるや唖然とする感があります。今回は、この趣味をテーマに我が身になぞらえて考えてみました。
音楽でも、バッハ、モーツアルト、ワグナーなどに付いて、狭く深く追求しておられるマニアの方が多くおられます。興味本位にその世界の人達に接してみると、自分の居場所が無く恥ずかしさと居心地の悪さを感じる事があります。しかし、音楽は癒しのツールとして大衆に普及している分野ですから、深く知らないからと言って「だからどうした」と開き直れば気楽になって、すんなりと仲間入り出来る経験もしました。しかし、なかには自慢げにもっともらしく誇示する人も居られ、不愉快な感じを持つことにしばしば遭遇するのも事実であります。
私が、学生時代から好きな音楽としてアルゼンチンタンゴがあります。この分野も物凄く狭く深い研究をされているマニアが大勢居られます。そして、この分野の趣味人が集まるクラブが日本全国に数え切れないほどあり、横浜にも幾つかのクラブが存在し、その一つに私も参加しています。人によっては複数のクラブに参画されている熱中者も居らます。
そして、その集まる趣味人の知識のレベルもクラブによっていろいろですが、良くぞここまで掘り下げたと思うような研究結果が多々あります。
一口にアルゼンチンタンゴと云っても、ピアソラから古典タンゴに至るまで、その幅は広くタンゴファンと一括りにするのは乱暴が過ぎますが、一般的に言われている事象として、1927頃の演奏が聴く者の心を捉えて離さないと言う事から発したと考えられます。
それは、機械式録音から電気録音に変わったのが1926年代ですから1927年と言うのは、アルゼンチンタンゴ業界にとって、革命的な技術革新がなされ、演奏家にとっては特に気合が入ったと思います。それが、後世の我々ファンの琴線に触れるインパクトになった事は間違い無いでしょう。それだけに、その前後の時代への調査に駆り立てられたファンの人達が多いと思います。そして、私のような研究に熱心でないフアンは、その研究成果から受ける恩恵が計り知れないものがあります。恥ずかしくも無く大きな顔をして仲間意識をもてるのも同好の士の情けと思っています。
似たような事象として、熱心なワグナー ファンの集まりが有って、その人達をワグネリアンと言うのだそうですが、私もワグナーの音楽は大好きで、その弟子に当たるR・シュトラウスは特に好きです。しかし、剣豪作家の五味康介のワグナーへの思いを記した文章などを読んでみると、とても私などはワグナー好きとして同好者扱いされないのではないかと思ってしまいます。「お前など同好者で無い」と言われそうです。
この世界の人達との交わりには敷居の高いものを感じてしまうのですが、それは私だけの事ではないような気がします。