会長のコラム 198
2月のコラム 198号です。
正月気分が抜けた2月と言いたいところ、業界関係、行政関係などの実務社会は、2月が本番であり企業活動に気合を入れる時期であります。酒も食も細くなり交流会中は現役の方々に交じって、若い「素振り」も大変でした。
私の世代は、60歳定年を迎え、企業戦士としての活躍ご苦労様と言われつつ、実務社会と縁が切れる世代です。出身学校に出入りする者や、関係会社の顧問になる者も居りますが、毎年送りだされて来る後輩人材が居るわけで、永く続かないのは当然と言うもの、いよいよ居る場所がなくなるのであります。嘗ては、同じ目線で世界を眺めていた仲間の変わり様には、ことの他、寂しさを感じるのであります。
かく言う私にも、羨む同世代の方が居られます。世界の現地新聞を現地語で読まれ我々の常識とは違った見識などをウェッブ上で紹介されたり、私のコラムにコメントを頂いたり、博識な方が居られ、孤独を満喫して居られる様子に、新たな元気を呼び起こされるのであります。人間のDNAは、バンドになって生きる習性があるとのこと、本能的に孤独が怖いと言うことのようです。ならば、狭いコミュニティーに囚われない努力をする、「生き様」を考えるべく修行が必須、その修行の浅さを考えさせられる近況であります。
「良い音とは、何か」、定義の無いこの件に付いて、私が常々言っていることは生音楽の「らしさ」の表現なのです。では「らしさ」とは何か、聞く人の音楽に対する理解度、感性、更には哲学などと私は言いますが、音楽を勉強した楽器奏者が高級オーディオ装置を持っているケースは極めて少ないのです。この事は、私のお付き合いする音楽家の方々とお話して感じるのですが、楽器奏者は、パッケージ・ソフト(LPやCDのこと)の音楽を聴いて実物楽器の音をイメージしてしまうと考えられます。
所詮、楽器と異なる工業製品から本当の音が出るとは考えられないと言うのがこの方々の有りようと思います。永年楽器演奏の修行をされ、ご自分の体調や歳による体力の衰え、気候、温度湿度などで、音の変化を敏感に感じ取られています。私が如き道楽者には到底理解出来ない音楽と音への敏感な感性と思うのです。
という事で、音楽の「音」とは限りなく深淵であり、神秘なものと考え、そこに至る音楽の創り手と我々の「作り物」とは、比べようも無いと考え、せめてコンサート体験だけでも積まないと音創りのプロとして申し訳が立たないと思うのであります。
今月の音楽ライフ
1月31日 木曜 リッカルド・ムーティのシカゴ交響楽団公演に東京文化会館19時開演でヴェルディ/「レクイエム」に行ってきました。
シカゴ交響楽団は、3年ぶりの来日公演であり、ヴェルディには深い造詣を持つムーティの指揮ぶり、演奏は、それを裏切らなかったのであります。
大合唱団のつぶやきから輝かしいアカペラへと続く、そして厚いオケの音が続く、この一丸となった音はシカゴ響ならではのダイナミック・レンジと言えましょう。コントラスト豊かに導くムーティとシカゴ響は、信頼しきった関係から生まれるハーモニーであり、まさに極致と思うのであります。
当日の出演は、ソプラノ : ヴィットリア・イェオ、 メゾソプラノ : ダニエラ・バルチェッローナ、 テノール : フランチェスコ・メーリ、バス : ティミトリ・ペロセルスキー、 合唱 : 東京オペラシンガース、の130名程の大合唱団、東京文化会館のステージ一杯の迫力は滅多に体験出来るものではありません。そして、ソリスト達もムーティの指名する期待に沿ったベテラン揃いなのでしょう。中でも異色は、ソプラノのヴィットリア・イェオでした。この人の声が細く気になりましたが、美しく良く通る声で、合唱から抜けてくる声は素晴らしい効果を発揮し、合唱に対峙するソプラノの存在感を感じ取りました。
ムーティが、シカゴ交響楽団の音楽監督に就任したのが、2010年でその前年の2009年1月のシカゴ交響楽団の定期演奏会で就任お披露目公演が行われ、その時の演目かヴェルディ/「レクイエム」。この公演の大成功によって両者の黄金時代が始まったと言われます。この日本公演は、まさにその再現の公演と言えましょう、音楽を聴く楽しさは明日への活力であり糧となる、素晴らしいコンサートでした。
2月9日 土曜14時開演で神奈川フィル定期演奏会にみなとみらいホールに行ってきました。演奏曲目がマーラー/リュッケルトの詩による5つの歌曲、ハンス・ロット/交響曲第1番、でした。歌手に、欧州でワグナー歌いとして名高いメゾソプラノの藤村実穂子と言う事で、初めて聴く藤村に期待して行ってきました。
ハンス・ロットと言う作曲家は、私は全く知らない人で、正直言って期待度も低かったのですが、これは凄い曲でして、終演後は藤村実穂子のことを忘れさせられていました。
ハンス・ロットは、マーラーと同級生でマーラーとはお互いに才能を認め合う気の合う仲と言われ、作曲家としてマーラーの先を行っていたと言います。しかし、ウイーン音楽院の卒業コンクールでは、この交響曲第一番の第一楽章が提出されましたが、マーラーが優勝したと言われます。
後日、この交響曲を完成させてブラームスにスコアーをみせたところ、平凡で無意味と評され、ウイーンフィルの指揮者ハンス・リヒターも採用しなかったと言います。その後、精神病を患い、25歳の若さで結核のために世を去っています。
この曲は、マーラーの先を行く曲であり第3楽章のスケルツォはマーラーを彷彿とさせられますが、マーラーの先に作曲され、マーラーを思わせる曲相ですがそれ以上に激しさを表現していて素晴らしい曲でありまた。
常任指揮者の川瀬賢太郎の選曲であり、無名である故に定期演奏会でないと聞けない典型の曲で有りましょう。良い体験を得ました。
2月17日 日曜 新国立劇場に西村 朗/オペラ紫苑物語に14時開演で行ってきました。
このオペラは、新国立劇場の日本人作曲家委嘱作品シリーズ第一弾との事で、西村 朗作曲によるものです。当日のプログラムによると芸術監督の大野和士も大きく関わり合っていて期待にそった作品に仕上がったと前評判です。
私は、オペラとは、ヴェルディ、プッチーニ、ワグナーをイメージするものであり、その後にR・シュトラウスが居て、それ以後にオペラは存在しないと思い込んでいる極めて偏屈なオペラ愛好家であります。
当日の演奏ですが、オーケストラが東京都交響楽団、コンサートマスター/矢部達也、指揮/大野和士と言うことで、主催者の気合の程が自ずと伝わってきます。私は、この都響が新国立劇場で演奏するのは初めて聴きました。首席指揮者の大野和士を伴っての演奏に、この公演に掛ける熱意が熱く篤く感じとれるのです。
このオペラは、若者が自分の人生をなかなか見つけられずに、父親と仲たがいし、近習の部下を安直に殺害し、挙句に弓の師匠である叔父に技を挑み魔力を使って殺害し、最後に仏像に弓を射ると言う狼藉ぶりのストーリーですが、その進行過程での精神表現を刻々と表現して行く音楽は、状況を如実に表していると感じます。しかしその音楽は、不協和音であり、アリアは無い、歌っているのか語っているのか分からない、新しい現代音楽であり、若者の心理状況の揺れ動くさま、その表現を語る曲相を理解はするものの、改めて劇場に通う気力には至りませんでした。
素人の感想として、この曲には歌うにも、演奏するにも、スコアーを読むにも、メロディーらしきものが無いだけに、難しいのではないかと、余計な事を考えてしまいます。時代の経過とともに、やがてR・シュトラウスのように大衆に感銘を与える作品として評価される「何か」を感じます。
2月23日 土曜 15時開演で ヴェルディ/レクイエムに神奈川フィル定期演奏会の神奈川県民ホールシリーズに行ってきました。
当日の出演者です。
指揮 : 川瀬賢太郎 お馴染み神奈川フィル常任指揮者
ソプラノ : 浜田 理恵 東京芸大大学院修了後フランス留学、ヨーロッパで大活躍の人
メゾソプラノ : 山下 牧子 東京芸大大学院修了後東京音楽コンクール一位受賞新国立劇場にも出演
テノール : 宮里 直樹 東京芸大大学院修了後ウイーン留学、後に国内で幅広く活躍
バス : 妻屋 秀和 東京芸大大学院修了後ミラノに留学、海外で活躍中なるも、新国立劇場のお馴染み
合唱 : 神奈川フィル合唱団の専属アマチュア合唱団、神奈川フィルとの公演が多くその実力は評価されている
以上の出演者であるが、私は半月前にムーティとシカゴ響の演奏会を聴いて間が無い時
期の鑑賞でした。何と言ってもソリストの素晴らしさは、ムーティコンサートに負けて
ません。そして、演奏はある意味で新鮮さと熱意が伝わる好演奏でした。
ただ、会場の神奈川県民ホールは、改装されてその後に初めて行ったのですが、ここの音響は相変わらず改善されて居らず、この点残念でした。
以前にも当コラムに書きましたが、オケピット内でのオケ演奏には何ら問題は無いのです
がオケが舞台に上がると駄目なのです。この点の改善の見られないホールには、定期演奏
会と言えども、特別に意義が無ければ行かないことになるでしょう。