会長のコラム 239
8月のコラムです。
オーディオ機器を世に送りだす、その目的は何か、事業を主幹する者として、立ち位置を明確にしておかなければとの思いに至っています。
演奏会場の生音を目指す? その生音とは何か。この生音なる物、ホールに依って異なる、席に拠って異なる、何が本物かと問われるなら、その回答は聴く者の感性によるところ大で、解は無いと考える。指揮者の小澤征爾は、ガレリアの一番奥の席で聴くのが最高と言っていた。言ってみれば一番安い席であり、私は信じ難い。音楽に精通した人と、音楽を全く勉強していない音楽好きの趣味人間の違いは明らかと考える。私は、良い席を定期演奏会のシーズン全公演の同じ席を一括購入している。
私の学生時代は電気通信工学科に所属し、音楽とは無縁の学生であったが、男性4部合唱のグリークラブに所属し、音楽に接触する機会は多かった。年の暮れになると女子大と合同でベートーベン第九の合唱をやったのであるが、舞台上の合唱団の位置はオーケストラの音が良く聞こえる位置であり、特に大太鼓の音が良く聞こえる。ベートーベンが言う地底からの呼び声たる、大太鼓の風の様な低音をこの時聞いてしまった。以来この低音を求めて、寂しい懐を顧みず、毎年、第九を聴きにコンサートに通ったが、低音はホールに依っては聞こえない、聞こえても「コンコン」としか聞こえないホール、何も聞こえないホールもある、しかも、良いと言われるホールでも席に拠ってまるで違うのである。
話は変わるが、既にお亡くなりになった、目黒にお住まいだったオーディオ研究家の池田圭さんのお宅で聞いた低音再生は、見事にこの大太鼓の音を再現され、以来、技術者として、音楽愛好者として、低音の再生に注力していますが、オーケストラ奏者と同じ位置で聴いた、風の様な低音再生には未だ至っていません。
低音再生に限らず、良い音とは何かに応えるならば、再生帯域、分解能、低雑音、そして音場定位、となるでしょう。しかし、それは技術者の求める目標であって、音楽鑑賞と言う立ち位置から言うと、音の鮮度、言い換えると「生らしさ」、が最右翼と言えましょう。これは測定器での計測は出来ません。聞く人の感性に依る物で、少し大げさかも知れませんが、音楽への理解力、鑑賞力の差が物を言う世界となります。
単に生音を求めるのではなく、如何に「らしさ」を求めるかと言う事に注力すべきですが、その「らしさ」なるものとは、聞く者の感性に依って異なるから、その解は1つで無い事は明らかであります。結論は、オーディオ装置は雷の音や蒸気機関車の音を聞くものでは無いということ、と我々は考えます。
今月の音楽ライフですが、毎年この季節は新国立劇場、神奈川フィルハーモニーともに定期演奏会は有りません。新国立劇場は、7月の公演が今シーズンの最後で、次のシーズンは10月からになります。神奈川フィル定期演奏会は夏休みの一時のお休みとなります。暑さに加え、新型コロナ、その上不穏な世界情勢です。
我々人類の多幸を発展させ、更に続けなければなりません。その一つを担う音楽鑑賞、これをテーマとする我が社の仕事は、何が何でも続ける覚悟で居ります。ご支援のこと篤く感謝致し、音楽のある生活を維持すべく、これからも宜しくお願い致す次第です。