会長のコラム 213
5月のコラムです。お陰さまで、私のお付き合いしている範囲では、新型コロナに感染したと言う話は、未だ聞き及んで居りません。幸運と言って良いと思いますが、私「くじ運」が悪い方ですから、「コロナに限り、当たる」それは無いでしょう、兎に角、用心有ってのことと思います。
このコロナ禍が、今後ビジネス界に及ぼす影響は、図り知れないものがあります。この影響で、破産に追い込まれた企業が報道されました。そして米国の大企業ボーイング社の受注台数が、ゼロだったとの報道もありました。世界経済に及ぼす影響は甚大なるものと思います。コロナに当たらなくとも、益々、脇を締めて掛からねばと思います。
今月も全ての音楽ステージが中止でした。先月のコラム212号は、オーディオ技術に付いて、私の「勝手な思い」を書き過ぎました。今月は、私を知る方々に、「あの男、如何しているか」と思われる折りに、健在である証として、このコラムをご高覧頂き、安否ご確認のためと思いつつ認めました。
この機会に撮り溜めたTV の音楽番組の整理をしています。初期のDVD を含めて録画機が何と7台もあるのに気が付くのですが、考えてみると技術進化とともに、高画質化が進み、その展開期に、都度買っているのですね。だから、テープの時代から振り返ると結構な投資をしています。テープ時代のものは既にデジタル化しましたが、それも初期のフォーマットですから、とても今の物とは比較になりません。それでも、イタリアの親善策として、来日した、ミラノ・スカラ座の引っ越し公演など、貴重なオペラの映像では、画質の良し悪し関係なく、貴重であることに改めて気が付きます。
デル・モナコ、エレーナ・スリオティス、フィオレンツァ・コッソット このキャストによる、「オペラ/ノルマ」 の公演録などは今では望み用の無い貴重な映像です。何分にも、当時コネを頼ってコンサート会場に行ったのですが、残念なことに、この日本公演での、スリオティスの調子が悪く、決して良い公演とは言えませんでしたが、記録を見るだけでも当時を思い出します。他にもモンセラート・カバリエ、テレサ・ベルガンサ、等の昔懐かしい歌手のものには、ついつい、観てしまう。他にも捨てきれずに保管しているものなどが有ったりして、私が死んだら残った家族は迷惑と思いつつも整理が進まない。何時もながら修行が足りないと反省ですが、反省ならサルでも出来ると言うから、如何しましょう。
ここで、改めて考えさせられる事は、映像のアーカイブ技術進化は、都度ごとに投資して来た事になり、画質向上のご利益を受けて来ました。しかし、オーディオに於ける技術進化は如何でしょう、フォーマットは進化したものの、相当する音質向上のご利益に与っていません。私は、ハイレゾ・フォーマットへの投資は、仕事の関係は別で、個人的には限りなくゼロです。と言うのも、オーディオのフォーマットは次々に新しいものが出てきますが、出ては無くなりを繰り返す、結局のところ、今の時点で健在するパッケージ メディアは、LP 、CD 、SACD だけです。そのSACD もやがて無くなると思います、関わる企業が何処まで頑張るか、私には信念無き作業に見えてなりません。
一方、映像分野はどうか、過去にVHDやレーザーディスクなど在りましたが、オーディオ程に多くはありません。画質向上に成果を出しつつ進化しています。人間の機能で、「耳」の音に対する機能は、敏感ですが、眼の映像に対する機能は、「耳」以上には敏感ではないと思うのです。3D 映像も素晴らしいですが、舞台芸術の観劇から受ける3D 映像は、投資意欲が涌きません。やはり、人間の眼に掛かる感性と「耳」に掛かるものとでは、価値観が違うと思います。
映像関係のフォーマットは、オーディオのような進化のスピード感は有りませんが、進化の結果は確実に実用化されています。4K/8K映像なども実用化が進んでいるようです。(この点、現実的には未定かも知れません)
オーディオに付いては、フォーマットこそ多いですが、納得の「音」に到達していません。だから新しいフォーマットが次から次へと出てくるのかも、それが商売になるのですよ。それだけ、人間の「耳」は敏感なのだと思うのですが、如何なものでしょうか。
画質は悪くとも、昔のオペラソフトを観てしまう、後世のネトレプコ、カサロバなどのソフトパケージは、画質は良いし、歌唱も良い、音も良い、しかし青春時代に出会ったソフトは、捨て難く、自分にとって、お宝であり、「アッ」と言う間の時間経過は、「巣ごもり」ならではの結果です。
「眼」の鈍感さのお陰で、プアーな画質だけれど、受ける感動が強く、「耳」の不満(音質の悪さ)をカバーしてくれる。その場の情感も左右すると思うが、「眼」は鈍感、「耳」は敏感、オーディオ道に励みが湧く、だから頑張れると思うのです。