会長のコラム 104
暑い8月の最中、8/17にイタリア旅行に出発しました。今回の旅行は、日本よりも北に位置する北イタリア地方が主な訪問地なので、日本より涼しいであろう事を期待し、衣装なども初秋をイメージして用意したのが全くの裏目でありまして、ローマ、フィレンツェ、ペーザロ、ベローナ、ミラノと回る内、全てが横浜に負けじとばかりの酷暑でありました。地元の人達も今年は異常だとの事でありまして、日本に居る以上の酷暑三昧で時差と酷暑との戦いは始めてでもあり酷いものでした。
今回のイタリア旅行は、オペラ歌手岡村喬生さんが企画したオペラ/マダマ・バタフライのプッチーニフェスティバル公演を応援する目的のツアー旅行でした。
フェスティバルが行われるトーレデルラーゴは、プッチーニが好んで生涯を過ごした地で、毎年プッチーニ財団の主催によるフェスティバルが行われます。この地は、湖の町であり湖を背景とした野外オペラ劇場が昨年旧劇場に変わって新設されました。私達は、日本から直行便にてローマに入りローマで1泊して、近くの町モンティカッチーニに宿をとり、劇場まで車にて移動しました。ここトーレデルラーゴは湖の町であるがために、この暑さで昼間は湿度が極度に上がり、夜間の冷気によって鞄や書籍に至るまで全てのものが露結して濡れた状態になります。
この現象には、オペラ開催関係のスタッフの方々は随分と悩まされたようです。
岡村喬生の企画する新國際版マダマ・バタフライは、プッチーニ財団の中核メンバーである遺族から台詞の変更に対し強力な抗議がなされ、結局その部分は実現しませんでしたが、純日本を意識した舞台は実に見事と言う事でありました。歌手陣の着物も友禅作家の千地康弘氏が担当し、舞台芸術を川口直次氏が担当すると言う最強のメンバーで、とことん日本表現への懲りようでして、大道具小道具類は全て日本から、そしてその作業者も全て日本からと言う懲りようでありました。なんと、その大工さんがハッピ姿で舞台に上がると言うおまけ付きでした。
キャストは、日本人役は日本人歌手が、外人役は外人歌手が歌い湖を背景として長崎を見立てた演出がみごとでありました。と言うことで、オペラ公演は成功裏に終りましたが、鈴木を演じるメゾソプラノは、この野外劇場の環境に耐えられず主催者側よりのクレームで下ろされた事は残念であります。ただ、最終回は予定通りに出演しましたが、東京のリハーサル会場にて聞いたときとは別人のような不出来な結果でした。彼女に何が有ったのか、素人の私には判りませんが、人によっては日本のメゾソプノ歌手層が薄い為実力を見誤ったとも言っていました。私の観劇日は、日本からローマに到着した翌日でして、普段でもこの日取りでは少しきついのですが、暑さと湿度の極限状態での観劇は大変苦しく、嘗て経験した事の無いものでした。
マダマ・バタフライの豪華な舞台 | 野外劇場のオケピット |
翌日からは、全てのミッションが終わった岡村喬生さんがツアーに同行します。我々は、モンティカッチーニに2連泊し、ゆっくり休んで前夜の疲れを癒し、近くの町ピストイアに観光に出かけました。この町は、中世の都市国家のひとつでありまして、機械加工技術の伝統があり、後世に開発されたピストルの語源ともなっています。中世の面影を残した静かな落ち着いた町として、現代社会に佇んでおり、これこそ「ザ・イタリア」と言うものでありましょう。
愚妻を伴っての岡村喬生さんとのショット | ピストイヤの街 |
次の予定地は、ロッシーニ・オペラ・フェスティバルの行われるペーザロに向かうのですが、途中のフィレンツェに寄り道します。目的は観光もありますが、岡村さんのトレードマークであります「食」を求めての寄り道、それはT・ボーンステーキであります。
そのために、フィレンツェに1泊するのですが、フィレンツェに来てステーキだけかよ、と言う人はVIPを謳ったツアーだけに居りません。とは行っても多少の観光時間はありましたが。
ステーキを写真に撮りましたから見て下さい。このステーキは、日本では食べられませんよ、お節介なお上のお達しで市場に有りません。この味は世界一とは云いませんが、多くの世界一のステーキの一つである事に間違い無いでしょう。ステーキ嫌いな人でも一口食べると自然に次の手が出ます。料理法は、塩と香辛料だけでひたすら時間を掛けて遠赤外線で焼いたものであります。肉質には殆ど脂の気配が有りません。何処かの国の霜降り牛肉とは全く別物であります。
肉塊の両サイドは骨 |
フィレンツェを後にして、ロッシーニの生誕地ロッシーニ・フェスティバルの行わるぺーザロの近郊モンテグリドルフォに向かいます。我々はここに3連泊してここからロッシーニ劇場に出かけます。ここモンテグリドフルォは中世の都市国家の城跡をホテルに改造した4つ星滞在型のホテル パラッツオ・ヴィヴィアーニです。そして、ロッシーニフェスティバルの劇場は、ペーザロ内に何箇所か有りまして私達はロッシーニ劇場にて「絹の梯子」を鑑賞しました。
さて、このロッシーニ劇場ですが、観客数が600席ぐらいで小ぶりの典型的な馬蹄形オペラ劇場です。そして、観劇した「絹の梯子」ですが、このオペラの公演は大変少ない上に市販されているDVDも少なく選択肢が限られます。序曲は良く演奏されますので、私も観劇が始めてとは言うのも自分で驚いています。これほどにDVDの発売が少ないとは思ってもみませんでした。出発間際に勉強と思ったのが大変な誤りでして、結局オペラ仲間の間を駆け回り、日本語字幕のものを借りて何とか予習を完了したと言うものでした。
ロッシーニ劇場は素晴らしい劇場です。何よりもその実力は大変なもので、オーケストラの実力がそれを語っており、町がこの劇場を誇りとして支えていることです。それは、ここにベルカント歌唱法を引き継ぐ若者を育成する機関があり、世界中の歌劇場関係者やエージェントが訪れているとの事であります。当日の公演ですが、演出が現代風になっており、斬新でストーリーがわかり易く音楽との進行がマッチして好感の持てるものでありましたが、作曲された時代の風紀とは全く違いますから、そこには違和感を感じざるを得ません。例えば、このストーリーの中で使用人(私の認識では作男)が進行上大事なポジションを持っているのですが、現代社会で男の使用人を使う家庭は滅多に有りませんから、この点は大いなる違和感であります。そして、私の見たDVDでは女の使用人(私の認識ではメイド)がこのおっちょこちょいの男使用人を牽制しバカさ加減を強調しますが、今回の公演では別な方法で表現しています。このオペラの筋書きなり時代差なりを充分に理解していれば、それもパロディーとして受け入れられるのでしょうが、我々には中々そうは行かないと思いますし、私には時代に即した演出が最良と思えてなりません。
ロッシーニ劇場 ロッジェ席から | 現代演出の「絹の梯子」 |
ここモンテグリフォでのスケジは、1日は自由時間にてプールなり読書なりと全くの空白時間でありまして、私は日本では味わえない時間空間を体験しました。特に友人として同行したユニパルス社会長のご夫妻とは、普段では立ち入らない話題にまで触れて有意義な時間空間を過ごしました。そして、残りの1日は、ここから25km離れた世界遺産の町ウルビーノを観光します。
ここウルビーノは、ラファエロの生まれた芸術の町として有名ですが、私は中世に傭兵を生業にした一国一城の主たる傭兵隊長が作った城と町の姿に興味を覚えるのです。戦国時代に傭兵で財を成し、しかもその文化芸術のセンスに長けた傭兵隊長の城であり、ラファエロの育つ下地がここに有ったと思う次第であり、それが殆ど原型どうりに残って、庶民がそこで生活をしています。と云っても世界遺産としての観光地ですが。この事に大いなる興味がそそられます。
我々の近隣国には、これが世界遺産かと思ってしまうようなものがありますが、これは全く次元の違うものであります。
高台に聳えるウルビーノ城 | 城内の町並み |
モンテグリドルフォに3連泊して、翌朝はオペラ鑑賞のためにヴェローナに向かいます。
ここからヴェローナまでは、300km弱でして殆ど高速道路の使用でしたから昼ちょっと過ぎには到着しました。昼食を済ませた後ヴェローナ市内観光となりましたが、私は過去3度ほどここを訪れているので、観光はパスしてひたすら夜のオペラ鑑賞に体力を温存します。アリーナ・ディ・ヴェローナは、ローマの遺跡を利用した野外オペラ劇場であります。今夜、鑑賞するオペラは、グノーのロミオとジリエットです。私の体験では過去2回は途中からの雨で中止でした。今回は、この暑さと晴天続きから、雨はなさそうです。開演が21時で終演は12時を回る予定になっています。そして、終演後はこの近辺の名酒である赤ワインのアマローネを飲みにワインバーが予約されており、岡村さん始め皆さんの体力と情熱もさることながら、この時間帯にも関らずイタリアと言う国柄は何と言う事か、財政が破綻しかけていると言うのに、夜中の12時にワインバーが盛況とは、などとダサい思いが巡ります。私もアマローネのワインなど易々と飲めるものではありませんから、明朝の出発は午前11時とは言うものの、気掛かりでは有りません。結局ホテルに帰って荷物を作って就寝したのが午前3時です。
鑑賞したグノー/オペラ・ロミオとジリエットですが、これも近代的な演出でありまして大掛かりな舞台装置が見ものでありましたが、やはり時代ずれした演出法には無理に何かを訴える仕掛が必要なのでしょう。例えば、終幕近くの天国で結ばれる事を願った二人が演じる場面などは、何と大掛かりな梯子の上です。これは落ちたらどうなるのか歌唱を堪能するどころか見ていてハラハラです。しかし、オーケストラと歌手の出来栄えはパーフェクトと言えます。特にソプラノはすばらしく、名前は記憶に残っていませんが恐らく数年以内に、この人は世界の名歌手として、活躍することになるでしょう。オーケストラ、合唱は。毎度の事ですがスカラ座のメンバーが中心と思われます。
雨も降らず、恒例の冷気風も吹かず快適なオペラ鑑賞でした。
会場の入り口の一つ | 開演前の舞台セット、その後ろは、 アリーナの客席で舞台背面 このセットが2つに割れる |
2つに割れたセット |
翌朝は、朝の遅い時間にミラノに向けて発ちます。ここからミラノまでは3車線の高速道路で175kmです。11時にヴェローナを出発し、あっと言う間に到着です。昼食を済ましてホテルに入りますが夕食はこの日に宿泊するウェスティンホテルにてお別れディナーが予定されています。
ミラノは何度も訪れているので、ディナーまでの間に、恒例のワインの買出しです。時間までに済ませなければなりませんが、やはり、時間が無いので由子さんの案内で手早く、サービスの良い品揃えの多い店に案内してもらいました。そこでの価格は、サッシカイヤー06年が55ユーロ、ブルネッロ・モンタルチーノ・アンティノーリ1999年が51ユーロ、テンニャネッロ07年が60ユーロと言う具合で日本より安いので(送料を入れても)買ってしまいました。翌日空港の免税店を眺めると、随分安く購入出来た事が確認出来て、気分最高でありました。酒類を町中の小売店で購入する場合、日本に直送と言うと予め消費税を抜いてくれます。そして交渉次第で更に値引きしてくれますので、空港免税店より安くなりますので、ご参考までに。
追記
コラム104はイタリア旅行号としました。次回105号は9月の事象と言うことになりますが、特別号として拙宅の3チャンネルシステムを完成させて、奮戦記を記すべく努力致します。