会長のコラム 202
6月のコラムです。6月は衣替えとは言え、5月に比べてこの寒さは何でしょう。この月が過ぎると今年も半分を経過することになります。当たり前ですがあと半年で年末とはね。部屋に映る旭も6/21を以て、南に方向を変える夏至であります。この季語、当コラムに書くのは何度目になりますか。私の寿命もやがて消えるか、と思う昨今の心境をお許し下さい。
オーディオの原点は、エジソンの録音に始まり、WE社(ウエスタン・エレクトロニクス社)
へ引き継がれ映画文化の成熟へと続きました。その後アナログ・オーディオは、ステレオ・LPへと進化し、オーディオ・テープを経て、デジタル・オーディオの台頭とともにアナログ・メディアの衰退が意外に早かったのが記憶に残ります。しかし、昨今では、アナログ・メディアの音質が優位として、LP再生が見直されるに至っています。しかし、またの復活劇の様相です。
最近のデジタル音質も一皮むけて、LPに肉薄する高音質へと脱皮しつつあります。私が言うのは、ハイ・レゾを言っているのではありません。それは、ハイ・レゾのフォーマットは、パッケージ・メディアとして存在しないからです。
音楽の再生音は、自然食のようなもので、人工着色、化学調味料、等のまやかし味が、グルメ人間に通用しないのと同じように、「音」も聞く人の感性、教養、ひいては哲学に左右される崇高なものであり、ジャンク・フードのようなものがグルメ人間に通用しないのと同じと考えられます。
CDが開発された当時は、素晴らしい技術であったはずのCDフォーマットでしたが、今思うに、取り返しのつかない未熟なフォーマットとしてスタートしてしまいました。その後、といっても最近のことですが、音楽愛好家の熱心な疑問に応えて、メーカーの技術者たちの追及の結果、グルメ人間を騙せない、アナログ・レベルの音質に肉薄するレベルに達しつつあると感じています。
デジタルがどれだけ進化しようが、アナログ回路を経由しないで「音」を出すことは出来ません。そのアナログ技術は、電子技術を基礎とするとは言え、聞きかじりの半端者でも「音」は出るところにジャンク・フード的な「音」創りが通用する世界でもあります。確りした技術の基礎と芸術文化に対する理解とマインド、この両輪が開発者に求められます。しかも、その「質」は、食を求める側に幅があるのと同様に「音」にも同じことが言えて厄介な事象でもあります。
音響機器の中で一番厄介なものは、スピーカーではないでしょうか。スピーカーは、電力を消費するデバイスです、例えば、定格8Ωのスピーカーと言っても、時々刻々変化するスピーカーの電力消費量によって定格の8Ωは変わります。更に、コイルで形成されボイスコイルは周波数によっても、そのインピーダンスが変わります。何を以て、8Ωと言うのか、つまり、一定の条件を仮定しての下に8ΩとJIS に規格化されているのです。
低音、中音、高音、と専用のユニットで構成されるスピーカーには、ネット・ワークと称するデバイスで音楽信号を分けます。これは、コイル、コンデンサー、抵抗で構成されます。その定数は、前出のユニットのインピーダンス、たとえば8Ωならそれを基準に設計されます。もうご理解頂けたと思いますが、この定かでない8Ωを基準としますから、結果はそれなりというもので、メーカーの技術者は、ここでカット&トライの格闘に入り、素人の及ばないノウハウの集積となります。
ここに、ハイエンド・アマチュアが、トライすべく闘志が湧くのです、つまり、ユニット毎にアンプを接続する、チャンネル・アンプ方式(システム)へと発想が進むわけです。録音スタジオのモニタースピーカーも、全てと言って良い程に、チャンネル・アンプ方式が採られていますから、ネット・ワーク使用のコンシューマ商品には得られない性能を実現します。そこには、デジタルデバイダーが使用されるケースは稀なことであります。
今月のコラム202では、当社の遅れ続けるチャンネル・アンプ・システムについて、書くつもりでスタートしましたが、その前提をご理解頂くことに専念してしまい、余白が無くなってしまいました。続きを次回にしますので、引き続きお目通しをお願い致します。
今月の音楽ライフです。忙しい6月でした。新国立劇場の定期公演、神奈川フィル定期公演、ボローニャ・オペラ座の引っ越し公演の2演目と続き、家内が体調不良を訴える状況には参った次第です。
私の歳になると、コンサートはマチネが良いです。終了後に感激の残り香を感じつつ、お酒を伴った夕食が最高の幸せですが、コンサート・スケジュールは自由の利かないもの、間が悪いと体調不良に及ぶのです。私の住まいが横浜で、都心のコンサート・ホールには、車を利用することにしています。一時期、夜の公演時にはホテルに宿泊しましたが、ホテルでも、日本の文化はレストランに苦労します。ルームサービスとは些か寂しいです。海外での環境とまるで異なるのは、文化の違い、先進国の日本の文化はまだまだと思います。
6月1日 土曜 新国立劇場に14:00開演でオペラ プッチーニ/蝶々夫人、に行ってきました。
このオペラは、言葉は悪いが、私にとって些か手垢が付いた感じなのです。オペラ歌手の岡村喬生さんが健在な当時の事ですが、氏が強く主張するオペラの言語の間違いに拘り、自費を投じて公演を企画し、国内での公演を果たし、果てはイタリアのプッチーニ・フェスティバルでの公演も手掛け、その全てにお付き合いしたことからです。
この度の新国立劇場の公演では、シガラミの無い一介の観劇者として、久しぶりに蝶々夫人の公演を観劇しました。結論から言って、素晴らしかった。オペラ指揮の職人と言いたくなるキャリアを持つドナート・レンツェッティに率いられる東京フィルハーモニーの演奏は素晴らしく、私のイメージを一変させられ、新たな感激を覚えるシーンに度々めぐり逢いました。特に第一幕の終わり部分のプッチーニ節は、過去に感じていた以上に素晴らしさを感じて、帰宅後に再度この部分を復誦したくなり、DVDソフト棚を見ると、何とこのソフトが無いのであります。考えてみると過去に購入した覚えが無いのですよ、これ程までに手垢が付いていたと言うことは、私の音楽への理解度の浅さと偏見に深く反省し、新たな価値に目覚めたと言うもの、オペラの楽しみをより感じ、「残り人生はこれで行くか」との思いに至っています。
このオペラでは、第2幕冒頭のアリア「ある晴れた日に」が突出したメロディーであり、全編のメロディーをマスクしてしまう傾向があり、当日は改めてプッチーニのメロディー・メーカーぶりを感じさせられ、全編に渡る素晴らしいメロディーは、これが、ザ・イタリアオペラの価値として改めて感じ取った次第です。
当日のキャストです。
蝶々夫人 : 佐藤康子、東京芸大博士課程修了後、日本音楽コンクールをはじめとし数々の国際コンクールで優勝している、特にプッチーニ作品を得意とし、ヨーロッパでの活躍の多い人で、この人のソプラノが牽引の要素の一つとも思いました。
ピンカートン : スティーヴン・コステロ、メトロポリタンの初日公演にデビューして話題になり、米国生まれながらヨーロッパを主に活躍している26歳の若手で、将来が嘱望されるテノール歌手、新国立劇場初登場であります。
シャープレス : 須藤慎吾、イタリアを始め国際コンクールで受賞を重ね、国立音大講師を務め、藤原歌劇団員として活躍
スズキ : 山下牧子、東京芸大大学院卒、東京音楽コンクール1位受賞、国際的に活躍する傍ら二期会会員として日本国内での活躍も多い。
以下のキャストも全て日本人で、所属に関わらずに実力者を揃えるキャスト選びは、新国立劇場ならではのもの、外国人に囚われない実力者揃いが見事な結果を創ったと思います。
6月6日木曜 東京文化会館にて、ラファエル・ゲーラ ピアノリサイタルに黒沼ユリ子さ
ん、宮澤 等さんがゲスト出演すると言うので行ってきました。その第一ステージが、この
3人によるベートーベンのピアノ三重奏7番の大曲「大公」でした。
女性の歳を言うには抵抗がありますが、既に演奏家の旬を過ぎたお歳の黒沼さんが、盟友のゲーラさんのコンサートに賛助出演するからには、それなりのご覚悟が有っての事は当然でしょうが、この1時間に渡る三重奏の演奏は、ただ事ではないエネルギーの消費と思います。それを見事に熟し、途中ハラハラもしましたが、逆に元気を貰ってしまいました、良い演奏を楽しませて貰いました。
6月21日金曜 ボローニャ歌劇場引っ越し公演のオーチャードホールに18:00開演で、ヴェルディ/オペラ 「リゴレット」に行ってきました。
私、イタリア ボローニャ歌劇場には、数回オペラ鑑賞に行っています。イタリアオペラの歴史を感じる劇場で、規模は大きくありませんが、これぞイタリア人のオペラ文化を表現する劇場であり、ミラノ・スカラとは違った文化を感じさせられます。通りスガリの旅行者には、チケットの購入は難しく、岡村喬生さんのコネにお世話になった記憶が残ります。
この引っ越し公演には、何か「イタリアの風、スメルの様なもの」を感じ、加えて、ジルダ役のデジレ・ランカトーレは、一世を風靡したソプラノ歌手ですから興味津々で臨んだものです。そのランカトーレですが、嘗てのスピント色は薄く、マイルド化していましたが、イタリアの「風とスメル」を充分に楽しみました。
当日のキャストを紹介します。
指揮 : マッテオ・ベルトラーミ
オーケストラ : ボローニャ歌劇場管弦楽団/合唱団
リゴレット : アルベルト・ガザーレ
マントヴァ公爵 : セルソ・アルベロ
ジルダ : デジレ・ランカトーレ
6月24日月曜 ボローニァ歌劇場引っ越し公演のオーチャードホールに15:00開演で、ロッシーニ/オペラ「セヴィリアの理髪師」に行ってきました。
待望のウイーク・デーのマチネ公演で、終演後に、18:30の予約で東急本店の8階馴染みの寿司店に、18:00からと絶好の時間帯に行けてハッピーでした。このお店は品数が多く、好きなお店の一つです。しかも、横浜の馴染みの店よりも安いし、オペラ公演の後の絶好の時間帯ですから、家内も元気を取り戻したようです。
セヴィリアの理髪師と言えば、アルマヴィーヴァ公爵、フィガロ、ロジーナ、の役が気になります。その公爵役が、一世を風靡したあのアントニーノ・シラグーザです。既に旬を過ぎたとは言え、テノール歌手の最高音 ハイ・ツェー が確り出ていたし、何と終幕近くのアリアではアンコールに応えていまして、その健在ぶりが収穫でした。
そして、フィガロ役のロベルト・デ・カンディア、新国立劇場ではファルスタッフに出ていまして、称賛を得ていたのが記憶に残ります。圧倒的な声量を持つバリトン歌手で、フィガロ役にピッタリの歌手でした。
そして、ロジーナ役です、過去にはテレサ・ベルガンサと言う突出したロジーナ歌いがいてロンドンレコードの録音が、これまた素晴らしく、これを持ち歩くオーディオ評論家も居られました。そしてその後にも、外せない名歌手が存在する役柄で、今回の舞台は興味深々、メゾソプラノ歌手、セレーナ・マルフィで、私は初めて聞く歌手です。
イタリア生まれの歌手で、デヴィーアと同窓との事、日本にも一度来ているようですが、今では世界の一流劇場で活躍しているとのことです。このロジーナ役は、美人でなければなりません、この点ではバッチリでありますが、若さ故か、カサロヴァのような、少しすれた感じが欲しかった、との欲が走りますが、多いに楽しませてもらいました。
オペラは、総合芸術と言われるだけに、私が如き者にも公演の難しさを痛切に感じてしまいます。新国立劇場の東京フィルの演奏も素晴らしいのですが、引っ越し公演の現地のオーケストラには、風と言うかスメルと言うか、技術以外の何かを感じ取るのです。
この違いにオペラの神髄があると素人の私は思うのですが、如何なものでしょうか。