会長のコラム 113
桜の季節、コラム113号は桜号と言うところです。今冬が寒かった事もあってか、花を愛でる気分も例年以上であり、花の命も長持ちした様に思います。
本号は、季節の気分と裏腹にブルーの気分での書き出しとなります。
オーディオ商品とは、実に悩ましいものでありまして、「いい音のプレーヤーが〇万円」などと言う広告キャッチがあるかと思えば、いい音と言うのは何を以って言うのか、数万円のものから何百万円のものまでが、「いい音」と言う共通語がまかり通るこの世界であります。
安いものを買った人は「こんなものか」と思いやがてはゴミと化す、高いものが良い音とは限らないにも関らず、これまた、高いものはそれなりに良いと思って、満足していると、もっと安くて良いモノの存在に気が付く、この現象は一体何だろうと思うのです。
「好きな音、嫌いな音」は存在するが、「良い音、悪い音」と言うのは存在しない、こんな大嘘を平気で言うマニアや業界に発言力のある人が、事を複雑にしていると思うのであります。
そもそも、オーディオ機器はエジソンから始まり、芸術、その時代の記録と言う欲求から生まれたものであります。それが、やがて工業製品、商業商品化してくるに従って様子がおかしくなります。それが、近年益々おかしくなるのです。
そもそも文化を表現する機器である筈のオーディオ機器で、文化も育っていない環境から生まれ出る事など有り得ないと思うのですが、工業製品化してスペックがものを言うようになると、大手を振ってしゃしゃり出てくると言うものであり、その結果オーディオ機器は雑貨と化し、既に業界は雑貨の業界になりつつあるのです。
それならそれで、格調高い素振りなど止めるべきであり、それが故にオーディオ業界は縮小あるのみと言う悲しい情況に立ち至っています。
悪い事に、日本の大手オーディオメーカーも同罪である事が、よりブルーな心境に至らしめるのでありまして、何処までこの業界を苛め抜けば気が済むのか、ピュアーオーディオの火が消えようとしているのです。
もっとも、ユーザーがそれでも良いと言っているのであれば、供給側がつべこべ言う事もありませんが、実態は悪貨が良貨を挫くと言うことわざがあります、それを代表するのがオーディオ業界と言うのも情けない事です。
汎用オペアンプを使って何百万円と言う商品を良い音と称して売るメーカーもあれば、こつこつとディスクリート回路をTr(トランジスター)で組み上げて、ひたすら良い音を求めて商品を作るメーカーもあります。
会社は利益の追求組織ですから、夫々にポリシーが有って良いのですが、「良い音、悪い音」の基準が無い事を良い事にして、商売上手に走るのはどうしたものか。
その結果として、Tr(トランジスター)のディスクリート回路を組む事が、出来なくなりつつあります。それは、需要が薄くなったTrを半導体メーカーが作らなくなるからです。この現象こそ、悪貨が良貨を挫く典型と言うものでしょう。
4月のサマリー
1. 新国立劇場 ヴェルディー/オペラ・「オテロ」
2. 自宅の3チャンネルシステム
3. 新国立劇場 モーツアルト/オペラ・「ドンジョバンニ」
4. 神奈川フィル定期演奏会
1.新国立劇場 ヴェルディー/オペラ・「オテロ」
4月1日日曜の14時開演のマチネに行ってきました。
指揮がジャン・レイサム=ケーニック オーケストラが久し振りに東京フィルハーモニーでした。指揮者はロンドン生まれで、88年に「マクベス」でウイーン国立劇場に初登場しており、パリ・オペラ座など世界各地にて活躍しております。
日本では都響、アンサンブル金澤、新日フィルなどと共演しており、新国立劇場初登場ですが、東京フィルの演奏では指揮者への反応に鋭いものを感じ、素晴らしい演奏でした。
東京フィルのコンサートマスターが青木高志、そしてコントラバス主席に黒木岩敏さんが入っていました。岩木さんとは今月家内共々イタリアレストランにて会食の予定があり、オペラ演奏の裏話などを聴く予定になっていました。
さて、「オテロ」に付いてです。この作品は、ヴェルディーの最後から2番目の作品であります。この前作が「アイーダ」であり、後作が「ファルスタッフ」であります。「アイーダ」までの作品は全て依頼されて作曲したものと言われており、最後の2作品はヴェルディー自身の創作意欲から作曲したと言われています。
それと言うのも、ヴェルディーがシェイクスピアに惹かれていたからと言うのが定説でありまして、その音楽は2時間以上に渡って緊張と快感の連続するものですが、なんと言ってもその音楽力は並はずれた完成度を感じます、それは演奏途中に一瞬の溜めを随所に感じるからです。それはある種、ピアノの内田光子、諏訪内晶子などの演奏で感じるある種の溜めに通じるものでして、聴くものに緊張と快感をもたらしています。
当日の歌手陣ですが、なんと言っても、デズデモナを演じたソプラノのマリア・ルイジア・ボルシとオテロを演じたテノールのヴァルテル・フラツカーロが素晴らしく、流石にオペラの本場で活躍する旬の歌手たちであります。特に、合唱の中から抜け出るプリマドンナのソプラノの声は後々まで耳に残るものでした。
そして、オーケストラの東京フィルの演奏も素晴らしかった。指揮者のタクトに忠実に追従する歯切れの良い演奏は、久し振りに聴くグランドオペラの醍醐味でした。
当日は、比較的早い時間に帰宅出来て、帰宅後にオペラの余韻を感じつつ、家内と飲むワインは、なんと素晴らしき事か、この平和が何時まで続くのか、年を取ったせいか余計なことを考えるようになりました。そして、この4月から新国立劇場の駐車料金が安くなり、長時間パーキングでも800円を超えないと言う有り難く、嬉しい事が一つ増えました。
2.自宅のチャンネルアンプシステム
ウーハー、ミッド、ツイーター間の位相差がシステムの音場定位に大きな影響を及ぼすことは知られています。私のシステムもこの点の改善が大きな問題である事は此れまでのコラムにて再三述べてきた事であります。
本件に付いては、MJ誌にて新井悠一氏が連載記事を記されており、私のシステムもこの点が問題でありますが、実際に計測するとなるとなかなかスムースには行きません。
特に私のシステムのように、カールホーンを使用していると常識論的に可也難しい問題が有ります。先日、石井伸一郎さんが私のコラムを見て苦戦の情況を知って、問題の位相を測定するソフトを持って拙宅にお越しいただきました。
測定方法は、ソフトがインストールされたパソコンに、マイクと発振器をUSB端子に接続るもので、いとも簡単にユニット間の位相差を計測することができます。
測定の結果は、ミッドとツイーター間は実に鮮明な情況で、時間遅れを計測することができました。しかし、ウーハーとミッド間は、ウーハーの前面の環境と部屋の情況が大きく影響し明確な測定が出来ませんでした。しかしウーハーに接近した壁やプレーヤー、アンプなどの設置された棚などを動かす事により大きく変わる事が判明し、音場空間を整理する必要を指摘しています。
要は、ウーハーの前面付近に物を置かない事や壁面、床面の影響を受けない様に何か吸音対策が必要と言うことです。
とりあえず、低音部の対策は少し時間が必要なので、ミッドとツイーター間に注力してみますと、測定の結果はツイーターがミッドに対して1.7m前に出ているとの結果でありました。この距離だと物理的に移動と言うのは不可能でして、デジタルディレー以外に方法は無いのではないかと思うに至っています。
デジタルディレーと言う事ですと、私の嫌いなADC、DACの世話にならなければならない事です。デジタルの世話にならないようにと、パッシブチャンネルデバイダーの研究をしている訳で、本件実に悩ましい事態になりつつある事、由々しき事であります。
これで、5月の連休は何処にも行けないと言う結果になりそうです。
3.新国立劇場 モーツアルト・オペラ/「ドン・ジョバンニ」
4月19日木曜18:30開演の初日公演に行って来ました。
指揮がエンリケ・マッツォーラ、演奏が東京フィル。キャストは、ドン・ジョバンニをマウリッシュ・クヴィエチェン、騎士長を妻屋秀和、レポレッロを平野 和、ドンナ・アンナをアガ・ミコライ、ドン・オッターヴィオをダニール・シュトーダ、ドンナ・エルビーラをニコル・キャベル、ツェルリーナを久嶋香奈枝が演じていました。
本公演は、久々に出来の悪いオペラ公演であり、新国立劇場らしからぬ公演でした。
この「ドン・ジョバンニ」と言うオペラは、重要な役どころでの歌手が多いオペラでして、それだけ優れた歌手が揃わないとサマにならないオペラであります、限られた予算を考えると難しい公演なのかも知れません。
しかし、当日のキャストは、それぞれに実力に大きな差があり、特にドン・ジョバンニを演じるマニウシュ・ヴィエチェンなどは、メトロでの評価も高い実力者であるのに対し、ダニール・シュトーダは実力なのか体調なのか判りませんが、全くサマになっていないのです。この一人のために、当日の公演は台無しになっています。
更に、日本人歌手の平野 和です。フォルクスオパーの専属との事ですが、主人のドン・ジョバンニ役のヴィエチェンとは格が違いすぎる。久嶋香奈枝は健闘しているとは言えクヴィエチェンやミコライとはこれまた格が違い過ぎ、重要な役を演じるには「役」不足と言わざるを得ません。
素人の私でさえ不審に思うのですが、このキャスティングは誰が何の目的でやったのか。これなら日本人歌手で纏めれば、全体のバランスと言う点でましだったと思います。しかし、もしそうで有れば私は貴重な時間を割いて行くことは無かったと思うし、新国立劇場だからと言う事で信用していたのですから、原因がなんで有ったか明確にして貰いたいところです。
国の支援が絶たれて、新国立劇場も安かろう、悪かろうの世界に入るのか、今後の公演が気になるところです。
4.神奈川フィル定期演奏会 マーラー交響曲10番、交響曲「大地の歌」
4月20日金曜、横浜みなとみらいホールにて19時開演で行って来ました。
今回は、新シーズン第1回目の定期演奏会でありまして、私の席も良い場所に移してもらいご機嫌な気分の演奏会でした。
マーラー交響曲10番は、第一楽章のみが完成された未完の交響曲でありますが、次曲同様最晩年のマーラーの作ですから、既に鬱状態の時期と思われます。
美しくもあり寂しくもあり、独特の雰囲気を醸す曲であり、絶大なる評価をするアマチュアリスナーが存在する事も有名です。金聖響率いる神奈川フィルの演奏もその雰囲気を余す事なく表現し素晴らしい演奏でしたが、この曲は演奏が素晴らしければ、ますます寂しくなるのも仕方ないところであります。
さて、交響曲「大地の歌」ですが、私の場合CDやLPで全曲聴くことは殆ど有りませんでした、それと言うのも理解できずに面白くなかったからです。しかし、こうして歌詞の訳と対比しながら「生」演奏で聞きつつその世界に入り込むと、聴く者の心境によって琴線に触れる事も多々あるのではないか、自分もその様な心境になった事を思い出すのであります。
これからも、この心境に遭遇する事があると思うと、これは貴重な曲であり有り、難い曲であると気が付くのです。つまらない曲、などと思っていた私が恥ずかしく思う次第です。
これぞ、生演奏のご利益と言うものでしょう。