会長のコラム 090
1. チャンネルアンプ奮戦記
チャンネルアンプを成功させたいとの思いは、今でも私のライフワークになっています。
一時は、デジタルチャンネルデバイダーが全てを解決してくれるとの思い込みがありましたが、実験を重ねるに従って挫折への道筋となります。それは、オペアンプを用いたアナログ式であろうとデジタル式であろうと、12dB/oct以上のロールのフィルターでは位相回転が起きて、チャンネルごとのユニット間の位相ずれにF特を持つので、スピーカーシステムとして一体化しないと思うに至ったからです。
以前にもこのコラムに書きましたが、スピーカーユニットを複数個使用する場合、ユニット間の位相を合わせることが重要であり、この点デジタルチャンデバはチャンネル間の位相差を容易に調整出来ることに有るのですが、カットオフ周波数の近辺ではフィルターの位相回転が生じて、特定周波数でのユニット間の位相調整は意味が無くなると言う事なのです。
位相回転の無いフェーズリニアーフィルターとなると、6dB/octフィルターですが、12dB/oct以上の高次となるとデジタル演算によるFIRフィルターと言う事になります。しかし、デジタル式FIRフィルターは演算に時間が掛かり、その掛かる時間も低い周波数ほど大きく要すると言う厄介な問題を持っています。その解決にはバッチ処理が不可欠となり、今すぐに採用するわけには行きません。そこで、私は当社のパッシブATTを利用して6dB/octパッシブ素子によるチャンネルデバイターを用いる事にしました。
パッシブ型を考えるに当たり大切な事は、オームの法則によるフィルターの計算式が、無限小インピーダンスから出力される信号と無限大入力インピーダンスを持つ回路に接続された時に成り立つ、と言う当たり前の理屈をクリヤーする事からはじまります。一般的には、チャンネルデバイダー素子の前にアンプを置いて低インピーダンス化を計り、フィルター素子の出力側をアンプで受ける事により高入力インピーダンス化に対応します。
当社のパッシブATTは、高入力、低出力インピーダンスですから、オームの法則を具現化する理想に近い構造を持っており、フィルター素子の入出力両サイドのアンプを全く必要とせず、完全なパッシブ型のチャンネルデバイダーを構成出来ます。
これで、位相回転の無い理想のチャンネルデバイダーが出来上がりました、これを元にベンディングスピーカーのトラバトールスピーカーやゴトウのホーンを用いたシステムでは大成功でありました。
しかし、私にはどうしてもやってみたいシステム構成があります。以前米国を行き来していた当時に手に入れた、アルテックの416を低音部、WE22AホーンにWE555ドライバー、そして高音部がゴトウ、と言う構成のシステムを成功させたいとの思いから実験を始めました。WE22Aホーンはビクターが製作した漆塗りのレプリカです。写真をご覧下さい。
問題は、この構成がチャンネルスピーカーシステムに良いのかどうか、これ等のユニットは過去の名機中の名機でありますから一度はやって見たいと誰しも思うものであります。
私の音楽趣味としてアルゼンチンタンゴのグアルデエ ビェハ(古典作品)の鑑賞があります。仲間内のマニアは専らクレデンザのような機械式蓄音機の再生に熱中しています。私はWE22A+WE555にてその再現を目指しておりますが、それと関連して、やって見たいのがこのシステムのへの挑戦であります。
さて、チャンネルデバイダーによる位相問題は実証済みであります。写真のような形に完成されておりますが、音は納得の行くものではありません。
そもそも、WE22Aホーンの音源が何処にあるのか、インパルス応答の特性はどうなんだ、など始めから問題が想定されているのですが、まず音を聞いてみるのですが、組成の優れたユニット達なのにシステムとしての音となると、どうにもなら無い、情況であります。
このつづきは、請うご期待下さいと言う事で、「コラム90」のこの項は一時〆ることにします。
2. トリノ王立歌劇場の来日公演
イタリアのピエモンテ州の州都トリノは、サボイア王朝の文化が栄えた街であります。その王立歌劇場が7月に初来日しました。王立とは、現代社会では在り得無いものですが、それは誇り高い称号と言う事であります。
今回の来日公演は、ヴェルディーのオペラ「椿姫」とプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」の2演目で、呼び物はバルバラ・フリットとナタリー・デッセと言う2人の今旬の世界的ソプラノ歌手の同行来日であります。
私は、7/23の東京文化会館での「椿姫」初日公演と7/25の神奈川県民ホールでの「ラ・ボエーム」を観劇してきました。
オペラ「椿姫」ではナタリー・デッセの期待通りの素晴らしいヴォレッタ役に加えて父ジェルモン役のバリトン歌手ローラン・ナウリが素晴らしかった事が特筆でありました。このジェルモン父役は、ドラマチックに悪役的に歌いきるのが一般的な演出ですが、当日のローラン・ナウリは理解のある優しい父親を表現するように演出したもので、新しい感覚の「椿姫」に感銘すると同時に、ヴェルディーの奥深さを感じ、新鮮な好感をもてる素晴らしい公演でした。
オーケストラも演出とマッチした。きめの細かさを感じるものであり、流石と思う実力を備えた演奏でありましたが、来日初演という事もあったと思いますが、始めのうちはテンポが遅れ気味で迫力に掛けるように感じまして、休憩時にオケピットをのぞいてみましたが、ピット内はびっしりのフルサイズでした。2幕以後の終盤にかけて本来の調子が出てきたようで、オーケストラと演出のマッチした素晴らしい公演でした。この日は金曜日で1日置いて日曜日は神奈川県民ホールで同じオーケストラによるプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」に期待が膨らみます。
さて、7/25日曜のマチネです、神奈川県民ホールでトリノ王立歌劇場日本公演プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」であります。心配したオーケストラでありましたが、前々日の「椿姫」とは出だしからうって変わった演奏ぶりにこれから始まるドラマに期待が弾みます。県民ホールの音も当然オケピットからの音です。言う事なしの素晴らしい響きと演奏でありました。ソプラノ歌手のバルバラ・フリットも期待に沿った素晴らしいものでありました。
この二つのオペラは、何れも結核を患った女性が主役で、どちらも最後は死の床に付いて死を惜しまれつつ亡くなるのですが、何時見ても「ラ・ボエーム」は涙を誘われてしまいます。一方の「椿姫」の方はそれほどでもない、これは私だけが感じる事でも無さそうです。そして、この差は何なんだろうと考えさせられるのも楽しさであり、そしてこの2つのオペラは何度見てもその新鮮さが味わえる、こんなオペラの奥深さと楽しさ、を改めて味わった両日でありました。この楽しみを知った人生に感謝であります。
この両日の間の7/24土曜日は、神奈川フィルの音楽堂シリーズと銘打ったコンサートが、神奈川音楽堂でありました。大変暑い日でありましてあの紅葉坂を上るのがこれ程大変とは思いませんでした。演奏は神奈川フィル、指揮が金聖響、演奏曲目は、メンデルスゾーン/序曲「ルイ・ブラス」、シューベルト/交響曲5番、メンデルスゾーン/交響曲3番「スコットランド」の3曲でした。
シューベルトの交響曲5番は、小編成のオーケストラ構成で静かに余裕を持って聴くにはこの上ない良い曲であり、特にこの響きの良い小ホールできくと、この上ない至福のときを感じるものであります。
東京文化会館、神奈川音楽堂、神奈川県民ホールと3日間続けて聞き比べてみると夫々の音の違いが楽しめ勉強に成りましたが、音楽堂はこじんまりしたその響きに独特のものがあり、経済効果を追い求める風潮の中でホールの維持には容易で無いものが有ると思います、異質な存在であり改めてその存続の意義を認識しました。
この日、いつも気を使ってくれる楽団のスタッフの方が、私を見つけて何やら深刻そうに声を掛けてくるので、一体何かと思いきや、「急な話で我々大変な思いをしています」との事。神奈川県からの補助金がいきなりカットされて大変なのだそうです。そして県のオーケストラを支える署名を集めてくれるようにとの依頼でした。今のような時期は行政も大変なのでしょう。しかし役に立たないと思われがちな「県」所有のオーケストラがいちばん先にカットの手が下されのようでは寂しい限りです。
子育て支援、老人対策などよりもオーケストラのほうが軽いと考えたのでしょうが、文化をその様に比較するその考え方に意義ありです。食うために文化費をカットしたら、「人間」何のために生きているのでしょうか。子育て支援が支給されたら銀行の預金高が増えたと言う別の話も有るようですが、神奈川県もそこまで堕ちてしまったのかと思うと、次は日本国の番ですね。何とも複雑な気分です。