会長のコラム 130
フランス、スペイン 巡礼の道を行く
8/1から12日迄の12日間、フランス・ボルドーを起点とするスペイン・サンチャゴへの巡礼の道を辿る旅に出かけてきました。と言っても、巡礼の道はサン・セバスチャンまでですが。
今回の旅行は、久しぶりに音楽抜きの旅で、JALパックが企画するポレイヤと言うJALの特別顧客を対象にしたツアーで体に優しい事を期待して参加しました。
日頃、老体に鞭うち現役もどき生活を営んでいますので、少しの贅沢お許し願いたいのですが、やはり、老境の生活環境から考えると、グルメは別として、実りの少ない旅行であったとの反省であります。
8/1成田からパリを経由して、その日の内にボルドーに到着しました。ホテルに直行バーカウンターにて寝酒を煽ってその日はおしまい。翌日からここボルドーにてもう1泊の連泊となり、最後のバルセロナまで2連泊続きで、合計5つの都市を訪ね合計10泊することになります。
泊まるホテルは、すべて5つ星、昼食のレストランはすべてミシュランの星付と言う、グルメが一つの目的のツアーでしたが、私の興味はフランとスペインに跨るバスク族の仕切るバスク地方を訪ねる事でした。
目的の一つであるグルメが、早速翌日から始まります。フランスの2大ワインの名産地であるここボルドーについて、私の事前知識たるや実にプアーなもので、ブドウ畑に囲まれた田舎の町と思い込んでいたのですから、この旅は始めから脳みそにショックが走りました。
ここボルドーは、何とフランス第4の都市で重要な歴史の拠点であったと言うことです。フランスのワインヤードに一度は行って見たいとの思いがあって、これもツアー参加の一つの理由でしたから、現実の違いにはショックでした。
ここボルドーは、大西洋の河口から100km内陸に位置し、大型船が航行出来る川幅と水深のあるガロンヌ川沿いに位置し、古来よりフランス内陸部への流通の拠点として発展してきたとの事ですから、フランスの歴史形成に重要な位置を占めていたことになります。
音楽の旅に出る際は、事前の下調べをするのですが、今回は全く気楽に出てきてしまい、ブドウ畑の田舎町をイメージしていた私しとしては、後ろめたい後悔が走りました。
ここボルドーの食文化はパリと違った形で発達したようで、我々のイメージするフランス料理とは違った食文化に接し大満足でした。例えば、海に近いと言うことで魚が豊富です。
フランス料理の魚と言うと舌ヒラメのムニエルのようにバターをたっぷり使ってフライパンで揚げ、そこにコッテリとしたホワイトソースをかけたものをイメージしますが、この地では実にシンプルな魚料理が出てきます。これは、日本の料亭で供される焼き魚に共通するところがあり、実にうまいのです。
そのグルメが、ツアー1日目の朝食から始まります、例によってヨーロッパ流で、それも、五つ星のホテルですから、パンは美味い、ジュース、バター、フルーツすべて最高級品ですから、後のことを考えずに食べてしまいました。
市内観光の後に最初の昼食が、ミシュランの3星レストランで午後1時頃にテーブルに付いたのですが、どうも一番乗りの様で店内は空いていますが、2時ごろから現地の人たちが現れ、ミシュラン星のレストランの様相になってきます。
その料理は、私がイメージするフランス料理とは別ものであり、日本料理法に似た焼き魚料理でした。フルコースの昼食にワインを頂いて、ほぼ完食してしまいました。食のボルドーと言われるだけに、ここボルドーにはミシュランの星レストランが結構存在すると言うことです。
ボルドー空港のバゲッジクレーム 流石ボルドーと感心する |
ボルドーの生命線ガロンヌ川岸 |
巡礼の道1里塚の基点 | ボルドーのワイナリー セント・エメリオ社 |
観光と言ってもバスでの移動で、殆ど運動もせずにホテルに帰り、ディナーのためにミシュランの星レストランに向かい19:30からディナーとなります。そして、世界に冠たるボルドーですから飲まない訳にはゆきません、出された食事は当然フルコースで昼以上のもので、到着の間の無い勢いにのってこれまた完食です。
一日目は、何も不具合は無く過ごし、翌日も素晴らしい朝食を何のストレスもなく平らげてビアリッツに向けて大型バスで発ちます。
ビアリッツは、巡礼の道最後のフランス領であり、バスク族の地であります。バスク族の地は、フランスとスペインに跨りフランスに3、スペインに7と言う比率であり、スランス領の公用後は第一がフランス語、第二がバイク語ですが、スペイン領では第一がバスク語、第二がスペイン語とのことです。
このバスク語と言うのは、ヨーロッパのどの言語とも似るものが無い極めて独特の言語とのことです。バスクの歴史などは省略させて頂きますが、スペインに今でも過激組織が有って独立を目指していますが、ここ10年間は協定を結び平和を維持しているとの事です。
バスク人は勤勉で特にスペインの近代への技術の先導役としての影響は大きく、その同じ部族がフランス領とスペイン領に分かれているのも不思議でありますし、それが同じ民族で同じ言語を話すと言うから益々解らなくなります。
そのフランス領のバスク地区、そして巡礼の道最後のフランス領であるピアリッツに2泊します。
泊まるホテルは、やはりミシュラン5つ星ホテル「オテル・デュ・パレ」に泊まります。このホテルは素晴らしいです。ホテル敷地内に広大な湖がり、その岸辺にホテルがあります、そしてこのレストランの写真を見て下さい、私はこのホテルに1ヶ月ほどステイしたい気になっています。
ここは海に近い丘陵地で高級住宅地でありリゾート地で、これほど素晴らしい地域は見た事が有りません。サウンドミュージックの舞台となったオーストリアのザルツカーマンにも行きましたが、景観の規模が違い過ぎるもののステイしたいと言う気にはなりませんでしたが、此処は別次元です。
加えて、食が素晴らしい、ボルドーの食と同じ傾向ですが、食材がより豊富なうえ料理のセンスが違います。ここでも毎回完食のそして素晴らしい白赤ワインであります。しかし、2泊目のよるは流石に胃袋疲れでこれ以上食べると体に障害を来たす危険を感じていたところ、主催者が気をきかして、その夜のディナーは予定に入れてませんで、各自自由と言う事になっており、何やら救われた感じになりました。
ここビアリッツは、フランス領バスク地区であり、次に行くサン・セバスチャンはスペイン領であります。現在はEUとして統合されているので自由に行き来ができますが、以前は戦禍の度に匿い合っていたとの事で、今の平和が永久に続くと良いとつくづく思うのであります。しかし、今でもスペイン側には過激分子が生存しているそうです。
と言う事で、ここビアリッツはバスク文化とフランス・ボルドー文化のミックス地区と言う事になります。
湖岸に佇むホテル 「オテル・デュ・パレ」 |
レストラン 湖側のエントランス |
さて、我々の旅は、これからスペイン領に入って最初の都市サン・セバスチャンに2泊します。途中国境を越えますが、今は何の手続きも無いし言われなければ国境を越えるなどと言う意識は全く働きませんが、言葉がフランス語からスペイン語に急に変わります。
サン・セバスチャンで泊まったホテルが、「マリア・クリスティーナ」と言う随分背負った名前ですが、この地で一番のミシュラン星付きホテルであり、ハプスブル家の王妃クリスティーナ姫お気に入りの定宿だったと言うことです。そして王姫は、この地が気に入って生涯を過ごしたと言うから、このホテル名も相当な名前なのでしょう、居心地いい豪華なホテルでした。
スペイン最北最西に位置し、ピレーネ山脈の麓、大西洋岸、と言うことで実に風光明媚な観光ポイントであり、成熟した食の宝庫であります。そのためか、この時期世界中のシェフが此処に集まり、料理の研究発表会が開催されるそうです。ここ、サン・セバスチャンの砂浜は、波が静かで海水浴に絶好な場所で古来より王族が着替えのために作った施設などが現存します。
高台に上がってこの湾をみると、波の静かな様子が理解できます。それは湾の入り口の中心辺りに島があり外海の波を和らげますから、湾の砂浜は絶好の海水浴場となるわけです。なるほど、王侯貴族が夢中になった、お誂え向きの地形だったのです。
写真右奥が砂浜 | クリスティーナ・ホテル エントランス |
さて、次の宿泊地ビルバオに向かいます。ビルバオは、州都でありまして、造船業を中心とした重工業で栄えたところです。今でもこの痕跡は充分に理解することができますし、世界遺産が沢山存在します。現在では、産業の構造改革に取り組み、先端を行く芸術や文化の中心地として発達し、それらを目的に世界各国からの観光客を集めています。
中でも、グッケンハイム美術館は圧巻であります。ここの規模は、壮大なもので生憎内部の写真をとる事が出来ませんでしたが、エントランスを見ただけでその凄さを想像できます、その写真を見て我慢してください。
生け花を積み上げて作った猫のモチーフ | この地域の特徴である霧をモチーフとして 人工的に霧を作っている。 これもエントランスの一部 |
ピカソの有名な絵画に「ゲルニカ」と言うのがあります。それは、この近くにあるゲルニカと言う町がドイツに襲われて悲惨な目に合ったときのことをピカソが悲しんで、絵にしたものです。
ゲルニカは、バスクが千年も前の中世に議会制民主主義を取り入れ、ドイツはその痕跡を抹殺するために1937年に徹底した空爆を行ったと言われています。
その議会制の始めは、樫の木の下で行われていたとのことで、その樫の木がいまでも残っています。そして、その樫の木の子供を育ててシンボルとして議会議場の庭に植えられ、議会制民主主義のシンボルとして、飾られており、大勢の観光客の目を引いています。
中世時代の初めの樫の木 今は枯れている |
子供の木 シンボルとして大切に育てられている |
議場内部 |
今では、議会制民主主義の発祥地としてよりも、ピカソの絵があまりにも有名になってしまい、主役の影が薄くなったような気がします。
ここ、ビルバオで2泊し、2泊目の翌日夕刻にバルセロナに向けて立ちます、飛行時間は1時間ほどでバルセロナに到着し、バルセロナ中心街にあるミシュラン星付ホテル「エル・パラス」に入ります。
ここで夕食をとり、翌日は最後の1日となりますが、出発日は遅いフライトなので、半日は観光にあてる事が出来ます。
バルセロナと言えば、ガウディーの建築物の見学であり、なかでも、建築中のサグラダ・ファミリアは見逃す訳には行きません。しかし、観光客は全ての者がその様に考えますから当然混雑するわけで、何時間も待たなければならないと言うことです。
ところが、裏技があるもので、個人的にガイドを雇えば何時でも入れるとの事、聞いてみるとガイド料は4時間で200ユーロとのことですから安くは有りませんが、ここまで来たのですから4人募って行くことにしました。
最近では、観光客が多いのと寄付の集まりが良いし、建築の専門技術者の協力も得られ、日本からも中心的な技術者が参加していると言うことで、進捗度が可也早まっているそうです。
内部は殆ど完成している様にみえますが、ガイドの話しではまだまだだそうです。それに、完全に出来た塔は1本だけで今一番高い塔の工事に掛かっているとのことです。
私たちは、その完成した塔に登ってみました。最上部までエレベーターで上がり、徒歩で階段を下りるようになっています。流石に近代建築技術によるものと思うのですが、ウィーンのシュテファン聖堂のように、階段の隙間から下界がみえるような恐ろしさはありませんでした。人によっては面白く無いと感じるのかも知れません。
離れたところから | 近距離から |
壮大な内部 | 現代技術によるステンドグラス 流石に色鮮やか |
塔の上部から下界をみる |
旅行最後の日は、夕刻にバルセロナを出発しパリ経由で帰国の途に就きますが、結果として、バルセロナ観光は、1.5日でミュージアムには行けませんでしたが、街の様子を見て主だった建築物を見て、年寄りにはまあまあの観光と思いました。
今回のツアーを考えてみると、行き先、乗り物、食事、宿泊ホテルなど全て決められたレールに乗って旅行する、この様な旅行は、久し振りの体験でした。
手間が省けて身一つ事前調査無し、行くだけの良い面もあるのですが、カネが掛かった割に何か満足感に不足を感じてなりません。多分、それは自由といえば聞こえが良いが、我が侭が利かないと言う点かも知れません。人それぞれに腹の減り方、体の疲れ方が違います。更に言えば見たいものに時間を掛けたい、この風にもう少し浸りたい。
特に、食に付いて言うと今日は魚が食べたい、或いは肉が食べたいなどと言うことは四六時中あるものです。それに、贅沢な要求かも知れませんが、連続してミシュランの星レストランと言うのも、初めての経験でした、スペイン料理のパエリアは食べる機会なしでした、世界の金持ちと言う人達もこんな生活はやって無いと思います。
と言うことで、反省を含めてよい経験をしました。スペインが財政難で住民が苦労しているなどと言う状況は見えませんでしたが、ガイドの話ですと、スペインの北側はイタリアと同じように、勤勉で国の経済を引っ張っていると言います。特に、バスクやバルセロナを含むカタルーニャ地方は、言葉も違ってスペインからの独立意欲が強いところと言う事、なんとなく納得です。
この辺りの事情は、話に聞いていましたが旅行してみると、余計に不思議な思いが湧いてくるし、なるほどと思うこともあり、いずれ、事が起きるのかも知れません。
現地に行ってその空気を味わっていると、そのときの参考になるし、事業展開の思考の一助になります。しかし、年寄りがそれを納得してどうする、と言う皮肉もありますね。若者がザック一つで地球を歩くことこそ価値ある行動と思うのです。