会長のコラム 033
今回のコラム33は、前回コラム32のイタリアオペラツアーの続きを書くことになっていますが、このコラム32をアップして間も無く、松本のサイトウキネンと新国立劇場のオペラ「ドン・カルロ」の観劇で素晴らしい体験をしたものですから、イタリアの続きを早くしないと感激が冷めてしまう恐れを感じてしまい、少し先を急がなければなりません。
ロッシーニの生誕地ペーザロでのオペラ「アルジェのイタリア女」の観劇の翌朝ゆっくり目に、プッチーニの生誕地ルッカに向けて発ちます。途中昼食もサービスエリアで済ませ、時間を稼いでルッカのホテルに入ります。
プッチーニフェスティバルは、ルッカの近郊の湖畔トーレ・デル・ラーゴの野外オペラ劇場で行なわれます。湖に面した劇場の前広場には、プッチーニが息をひきとったお気に入りの別荘があります。 今はプッチーニ博物館になっています。
この湖畔の岸辺に劇場の入り口が有って、ここでチケットのカットをし、 写真の様に橋を渡って客席に行きます。 この劇場の客席は湖に向かっており、舞台は湖を背にしています。 湖からの風が、舞台の音を客席に運ぶと言う計算との事です。 何とも情緒のある風情でこれから始まるオペラの期待を一層高ぶらせます。
この写真の後ろに見える柱は、今、建設中の新しいオペラ劇場のもので、 やはり新しい劇場も屋根は付けないと言うことです。
ここで我々が観劇するオペラは、プッチーニのオペラ「マダム・バタフライ」と「ラ・ボエーム」です。 最初が「マダム・バタフライ」でこの日が初日です。
このオペラは現地では「堺市オペラ」と紹介されており、 堺市が提供したのか協賛したのか不明ですが、日本の大使が客席に見えており紹介されていました。 又当日は日本からの観客が数多くみられ、場内アナウンスもイタリア語、英語、ドイツ語、フランス語に続いて日本語も放送されます。
指揮者 や主演のチョウチョウさんは、堺市の要望で決まったと言われており、 ソプラノ歌手は日本人で「SUMIKO MASUDA」となっており、 岡村さんの話ではドイツのオペラ座の専属として活動している人だそうです。
さてその内容ですが、ピンカートンがデブでこれは頂けません。 しかもその歌も今一でしたからなお更頂けません。 プリマの出来はこれと言った悪い点は無いのですが、とにかく魅力にかけます。 野外での演奏に負けていると言った感じで、ピンカートンほどではないものの、いま一歩と言うところ。
しかし、歌舞伎の舞台を連想する芸者姿の日本女性による合唱場面は実に見事で、 外人の観客は拍手喝采でした。 この公演の見所は、ここだけだったかも知れません。 と言うのは、有名なアリア「ある晴れた日に」が終わって間もなく、 雨に祟られ中止になってしまい、その先の出来栄えが未確認だったからです。
この公演の演出は、日本人で「MASAYOSHI KURYAMA」とあります。 このオペラ「マダム バタフライ」は演出上、日本の習慣に対する誤認がいつも気になるのですが、 今回のように日本人の演出であるにも関わらず、私でさえ気になるところが残っており、 岡村さんは、ぶつぶつ言っていました。
翌日は、この観光地トーレ・デル・ラーゴで過ごします。 プッチーニの生家や先ほどのプッチーニ博物館を見学し、イタリアの保養地でゆっくり時間を過ごし、 オペラ「ラ・ボエーム」に備えます。
我々のツアーはオペラ鑑賞が目的ですから、そのために時間配分を考えます、 オペラに興味の無い人からみれば何と無駄な時間を費やすのかと思うでしょう。
昨日と同じように、湖畔の入り口から入ります。 この日の席は私が大好きな中央右寄りつまり第一バイオリン寄りの席で、 オーケストラ以外は指揮者を始め全てが昨日の公演と異なります。
このオペラ「ラ・ボエーム」は、私の大好きなオペラと言う事もあり、 この公演こそ「ザ・イタリア」であり、 「ザ・プッチーニ」であり、 イタリアに来てオペラを見ている実感が湧くものでした。 今回のツアー最後の観劇を味わいつつ午前12時過ぎの終演を迎えます。
明朝は、ゆっくり目にローマへのバス旅行で、ローマに一泊して帰国の途に着きます。 私は、会社の仕事でドイツ ハンブルグに立ち寄りますが、 岡村さんとはこのローマで別れ又来年の夏に同行を約束して分かれました。