会長のコラム 100
5月の本コラムは、記念すべき100回目となります、これが偶然にも4月のエイプリルフールの記事と言う事で何か嘘臭い感じとなりまして、それが理由と言う事ではありませんが、特別なことは何もしないことにします。
因みに、この100回目コラムは4月の出来事を5月連休中に書いています。そして、会社出勤の初日に当社HP担当に渡してアップされますので、時象のタイミングがズレますがその点ご配慮頂いてお読み頂くと幸甚で御座います。
3月のフィレンツェ歌劇場の日本公演は、本国からの帰国命令で公演がキャンセルになってしまい大変残念でありました。しかし、指揮者のスビンメータさんはその為かどうかは分かりませんが日本に取って返してベートーベンの第九をN協で振って日本のファンを湧かせてくれました。日本贔屓と言われているメータさんならではの行為ですが、大半の海外アーティスト達も少しは見習って欲しいものです。
新国立劇場の4月公演R・シュトラウス/「ばらの騎手」は、外国人アーティストのキャンセルで公演の開催に支障を来たし、4月の初日公演はキャンセルとなりました。初日以降の公演については、劇場の努力によって日本人キャストに変わっての公演となりましたが、私としては何とコメントして良いのか言葉を失っています。毎回公演ごとに、初日公演のチケットを購入している私としては、期待し楽しみにしていたオペラ公演でしたが、この「バラの騎士」公演はキャンセルと言う結果になってしまいました。
このような情況から考えるに、6月に予定されているメトロポリタンオペラの公演は大丈夫なのでしょうか、私は全ての公演チケットが手元にあります。これからの公演がキャンセルと言うのも現実味を帯びてきまして、憂鬱にならざるを得ません、だからと言って、公演主催者の身になってみると、「どうしてくれる?」とねじ込む気にもなりませんから、益々ストレスが溜る時を過ごしています。
1. 黒木岩寿 低弦の饗宴コンサート 津田ホール
2. 神奈川フィル定期演奏会
3. 新しい試聴室
4. プロジェクターの設置
5. ハイエンド・オーディオに付いて思う事
1. 黒木岩寿 低弦の饗宴コンサート 津田ホール
「低弦の饗宴」と題するこのコンサートは、東京フィルハーモニーのコントラバス首席を勤める黒木岩寿とチェロ首席の金木博幸、それにピアノの鈴木慎崇によるコンサートで、4月10日桜の満開時に津田ホールにて行われました。
黒木さんがコントラバス、金木さんがチェロと言う東京フィルに於ける首席同士で普段オケ活動を共にされている人同士のそのアンサンブルの素晴らしさは心の癒しそのものでありました。コントラバスと言えばメロディーに縁が無いから面白くないなどと見当違いな事を言う人がいますがとんでもない事で、オーケストラの土台を担う楽器はそれだけ取り出して聞いても実に聞き応えのある楽器でありまして、奏者が優れていなければそれこそ「様」にならない楽器と言えるでしょう、そのコントラバスとチェロの名手金木さんのコラボそして鈴木さんの馴染みのピアノ伴奏が加わって、聴く者をしばしの小宇宙探索気分にさせられるものでした。
ちなみに、黒木さんとは音楽好きのマスターが経営する「レストラン凡手」の常連仲間です、金木さんは黒木さんのお隣の住人、そしてコンサートホール「ムジカーサ」のオーナー黒田さんがレストランの常連と言う関係です。そのレストラン「凡手」は、コラム99にてご紹介の通り今は在りません。
2. 神奈川フィル定期演奏会
3月に引き続いて金聖響のマラーシリーズ、今月はマーラー/交響曲第7番「夜の唄」で4月23日横浜みなとみらいホールにて行われ聞いてきました。
マーラー/交響曲7番と言うのは、演奏機会の少ない曲で私も生演奏を聴くのは初めてでした。もちろん数あるマーラー交響曲シリーズのソフトは数種もっており、時々聞いていますが、正直難解で面白くないと言うのが実感であり、通して聴くことは滅多に有りません。
その7番を生演奏で90分近く休憩なしで聴いてみると、マーラーの凄さとその哲学の片鱗を理解できたような気がして、生演奏の凄さに異常なものを感じました。
この交響曲の楽器編成が、多彩に渡ることで知られています。特に、4楽章からギターとマンドリンが入りますが、私にはこの楽器がオケの編成に存在することが理解できません。何故なら奏者が弾いている事は判るのですが、音が聞こえて来ません。オーケストラの中にマンドリン、ギターが一丁づつ入っても聞こえる筈ないと思うのですが、あえて加えた作曲者の意図が理解出来ないのです。しかし、全体的には生演奏の音楽は素晴らしいです。聞こえないものが見えている、この事は些細なことでありまして、この交響曲7番が、5番6番の延長線上にある事が理解できて良い機会でありました。この興奮が醒めない内に、LPやCDを聞き込みマーラーをより理解したいと思っています。
3. 新しい試聴室
「新しい試聴室でお前のアンプ群を早く聞かせろ」と言う要望が多くて困っています。私は、永年懸案であったチャンネルアンプの完成に向けた作業をこれから始める覚悟であり、そのプロセスの一環がこの試聴室を作る機会であった訳で、この部屋に篭もって音楽鑑賞三昧など始めから考えていなかった事であります。
しかし、オーディオに於ける部屋の存在が、大切であると言うことをここで改めて実感しました。これとて、プロとしてお粗末と思う次第ですが、日本の住宅事情から考えると無理からぬ事であります。工事に300万円ほど掛かりましたが、部屋とスピーカーは一体であり、100万円のスピーカーがプラス300万円の部屋で合計400万円のスピーカーになったと考えても、不思議では無いと思うようになり、部屋と合わせてシステムと考えるべきと実感した次第です。結果として、土台を確りせずにチャンネルアンプシステムへの挑戦は無謀であったと反省しています。とは言うものの、チャンネルアンプが完成したわけでは有りませんで、問題解決への対策が理論的に考えられる状態になったと言う事であり、これからがスタートとなります。
4. プロジェクターの設置
私が、プロジェクターを設置するのは2度目です、最初の導入時はプジェクターの性能が良くない時期で、当時はもっぱら3管式が主流でやっとD-ILAのハイビジョンプロジェクターが出てきて話題になった時期でした。大枚ははたいたにも拘らずその画質たるや平面的で全く面白く無い映像にガックリ。そのプロジェクターは、会社のパソコンプレゼン用に格下げして流用しました。新物好きに懲りて、以後はB管モニター以外の映像を信用しませんでしたが、最近のフラットパネルの画質の改良ぶりを見て、再度挑戦する事にしました。
昨年の秋に発売されたビクターのD-ILA方式のプロジェクターの評判が良いので、調査してみますと、当時とは格段に優れた映像である事が確認できましたので、試聴室の工事で大工さんがいるうちにと思い設置したわけです。スクリーンは110インチの電動式、音響スクリーンと最新のJVCのD-ILAプロジェクターであります。
拙宅のリビングルームは、18畳ですがスピーカ-設置面は2間でして、そこにマッキントッシュのXRT-22を設置しているためにスピーカーの前にスクリーンを置くしかありませんから、当然音響スクリーンになるわけです。このスクリーンは音の通りを良くするために網状になっていますから、映像は背面に一部抜けます。その分輝度が、失われますが音質を守るために仕方有りません。さて、この音響スクリーンの音質変化ですが、スピーカーのグリルと同じで、有ると無いでは結構変化がありますが、通常のスクリーンとは比較に成らないほどの効果があります。それより、拙宅の設置上の条件でもっと問題なのが、この部屋の東と南が明いているために、昼間での遮光が難しく、プロジェクターの鑑賞が面白く無い事です。その結果、またまた32インチB管モニターを持ち出さざるを得なくなり、プロジェクターは夜以外使えない結果になっています。
私、未だに現役で早寝が必須であります。100万円と少々の投資でありましたが、またして、「考えが浅かった」の反省であります。
5. ハイエンド・オーディオに付いて思う事
最近の真空管アンプの人気の理由ですが、アマチュアにとって製作が容易ということもありますが、やはり半導体で出す事の出来ない音質面の特徴でしょう。理由の一つには、アンプの設計上帰還回路を用いずに性能を出す事が出来るのが真空管回路です。(帰還回路を用いた方がより製作が楽で、無帰還と言いつつ帰還回路を使っているメーカー品に注意です)そんな訳で「猫も杓子も」と言うと叱られるかも知れませんが判りやすく言うとそうなのです。市場には、300Bアンプと称して10万円程度のものから数100万クラスまでピンキリですから、話をわかり易くしないといけません。
価格の差は、「造り」の違いですが、その違いは何かと言うと作り手の感性の違い、人生感の違い、哲学の違い、場合によっては良識の違いかもしれません。私が思うには、オーディオは「食の道楽」に例え易いのではないかと思うのです。
我々が体験可能な料理として「ステーキ」を例にして考察してみますと、「レストラン平松」のステーキは素人の真似の出来ない味の範疇でしょう。そして、その味は絶品というしか有りませんが、では最高かと言うと違います。例えば、ブエノスアイレスで食べるステーキは、パンパ育ちの牛の肉を彼らの伝統に沿った焼き方で食します。これもまた絶品であります。さらに言うとイタリア-フィレンツェにて食すTボーンステーキこれも絶品であります。他にも沢山あります。そして、人それぞれに評価は異なりますが、多くの人から絶賛される事は間違いないでしょう。
しかし、世の中にはこれ等のステーキを真似て恰もそれらしく料理して提供されるケースが多々あります。本物を知らずして「良い悪い」「うまい、まずい」を言っている人が多いので話は厄介になります。しかも、その間隙を突いて商売する人がいるからますます厄介になります。だから、食に付いて「旨いまずい」の評価は慎むべきと言うのが常識として心得るべきでしょう。(ミシュランの星の数と言うのもありますが)有名人が雑誌などで馴染みの店などと得意げに書いていますが、その店に行ってみると大した事もなく、「あの人の味覚はこの程度か」とか、「何か貰ってるのではないか」などといらぬ詮索もありましょう。それとて、「面白い」で済ますのが記事の目的でしょう。しかし、「おまえに評価できる能力あるのか」とすごまれるかも知れません。世の中には、美食の大家といわれる人も存在しますから「旨い味」の絶対値も厳然と有るのですが、大抵の場合は何も言わないのがこの世界の常識でしょう。
オーディオもこの「食」の道理とおなじで、経験を積み失敗を積み自分の音楽に対する思いとの比較を思考し、その繰り返しがその人の醸す「音」なのです。そう考えると自分の「音」を人に聞かせるのも恥ずかしくなります。私の経験から言える事は、突き詰めた人ほど自分の音を他人(音の判る人)に聞かせることに躊躇する傾向があるようです。
グレードアップの為に投資を繰り返すのがオーディオ道とも言えますが、大金を投資したからと言って「音」の大家とは言えないところも「食」の道理に通じる要素であります。と言う事であれば、自分に合った機器を最小の投資で選ぶ方法は無いか。それには、作り手の「思い」の原点を突きとめることが、早道であり、更に念を入れて、専門店から貸し出し専用器を借りて比較試聴するのが早道で、これは誰でも可能です。(但し、重量物は簡単ではありません)比較試聴は、お店のフロアでは意味がありません、自宅の設置状態で聴く事に意味があります。
「食」の道は、楽しみながらの回り道でありますが、オーディオも同じ事が言えます。しかし、経済的な負担の大きいのがオーディオの道であります(食の道もそうかもしれません)。
賢く、末永く楽しみたいものです。