会長のコラム 129
7、8月は、神奈川フィルの定期、新国立劇場の定期は、恒例により休みでしたが、神奈川フィル・音楽堂シリーズのコンサートが一つだけ有り、これが印象に残る素晴らしいコンサートでした。
小ぶりのコンサートホール神奈川音楽堂にてベートーベンの交響曲7番、フルオーケストラ演奏であり、このホールでのフルオーケストラ演奏は、客席数が少なく、舞台も狭いのでこの様な公演は珍しい機会であり、7月6日土曜のマチネに行ってきました。
ここ音楽堂でのオーケストラ演奏は凄いです。オーケストラの迫力が手にとるように分かり、音楽鑑賞を自負する人、オーディオマニアを自負人は一度聴いてみる価値があります。なにしろ、オーケストラのパートが明確に定位し、楽器の実在感が明確に現れます。
オーディオ装置はかく在るべきと言う姿が明確に見えてくるのです。それに伴って、指揮者が表現しようとしているフレーズが手にとる様にわかります。弦楽四重奏の演奏などでは、このホールならではの小宇宙の世界を経験するのですが、今回のオーケストラ演奏を聞いて、改めてこのホールの素晴らしさに感じ入った次第です。
7月は、鮎の美味しい季節です、鮎料理と言うと塩焼きが定番でありますが、実はこの鮎大変良い味の持ち主である事は有名です。この味をあらゆる手法で絞り出す鮎の専門料理と言うのがあります。
特に、鮎の炊き込みご飯は、料理人によって別物に近い味をつくりだします。その鮎料理を食べさせてくれる温泉宿が伊豆にありまして、毎年シーズン中は時間を作って行くようにしています。
今年も、7月の18日に予約していたのですが、何と弟の嫁が突如として亡くなり、初鮎はキャンセルとなりました。彼女は、乳癌を患っていて、その治療中だったのですが、亡くなる数日前には私達と一緒に食事をして元気な姿を見ていたので吃驚したわけです。
何と、死因が癌ではなくて糖尿病だったのです。救急車で運ばれ、救急病院での検査で血糖値が1000であっと言う信じられない数値で、糖尿病の末期症状で施し様が無かったといいます。
乳がん治療に気をとられて糖尿病の検査をしていなかったと言う事のようですが、癌科の医者と言うのはそんなものなのですかと言いたいところです。この一件、我々健康人にとって、反省させられる問題を提起していると思い、敢えて紹介しました。
私のスピーカー歴は、アルテックA-7がはじまりで、タンノイ・オートグラフ、マッキントッシュXRT-22、と大型フルレンジスピーカーの流れでした。
その間中型のタンノイ・レキュタングラー・ヨーク、ビクターのラボ1000などの導入もありましたが、やはりスピーカーは等身大の音を求める方向に落ち着いてきていて、現在ではチャンネルアンプシステムの実用化に向かっています。
最近、倉庫に眠っていたタンノイ・レキュタンギュラーヨークの修理を元ビクターの職人さんがやってくれると言うのでお願いし、先日それが完成し、久しぶりに聞いて驚いた事なのですが、当時のスピーカーの完成度に改めて感心したところです。
何しろ、50年も前の製品が現代のスピーカーに負けない、むしろそれ以上に良い音で鳴ってくれる、その音に50年間のスピーカー技術の進歩は何だったのか疑問を感じてしまいました。
考えてみると、材料の進化や希少金属の問題などがあったり、アンプが真空管から半導体に変わったりして、業界の事情も一変しておりますから、一概にスピーカー技術者は何をしていたのかと攻めることは出来ませんが、その変遷に付いて纏めてみる必要があると思い少しお付き合い下さい。
トーキーアンプのスタンダートと考えられるWE-91Aアンプは、NFBが掛かっていました、これは当時の先端技術として採用されたと思いますが、当時のパーツ精度の都合もあったと思います。
今日我々が求める良い音のアンプとなると、NO-NFBと言う事になるのですが、音質とNFBの関わりを理解していたかどうか、商業ベースで考えると明らかにNFBは有利ですから、その面での方向が優先していたかもしれません。
当時は、電源事情も今日では想像出来ない程に厳しいものであったと想像します。音質面から考えたNFBの無用論を論じてみても、高出力、高効率を目指して開発されたビーム管などは、NFB無しでは成り立ちませんから、その当時は高音質への発展はどちらかと言うと眠っていたと考えられるのです。
その様に考えると、当時のスピーカーは高感度が必須であったと思います。だから、現代の恵まれた材料環境下で、ひたすら高音質を求めて設計されたアンプで当時のスピーカーを駆動すると抜群の能力を発揮することは想像に難く無いと思うのであります。
オーディオの音質には、お酒や料理と通じるところが有って、材料の選定と感性による追求は、限りなく進歩し、それを理解し評価出来る人は、ラーメン、ハンバーガーなどのB級グルメばかり食べている人には全く理解出来ないはずです。その様な人達に資格が無いことは明白であります。
また、音の「良し悪し」よりも「好き嫌い」の問題が大きいと言う意見を良くききますが、これは真っ赤な嘘であります。食の世界も同じです、「好き嫌い」のある人間に繊細な食の味など評価出来るはずはありません。
真空管アンプの権威者と称する人で、NFBによって特性を整えて音を作ると言う事に声を大にして主張し、ご自分のトレードマークにしていた人がいました。オーディオの世界はどうも声の大きい人の理屈が正論のように聞こえますから始末が悪いです。
食の世界もその傾向はありますが、対象となる層のパイの大きさが違いすぎて、これは比較するのが無理でしょう。
ステレオ再生音には、ステージの奥行き感、見通し感などが求められます。それには、LRの位相が重要な要素となりますが、当時のタンノイスピーカーは既にこの点をクリアーする構造になっていたいと言うこと、そしてこの点アルテックのA-7(A-5)も全く同様であったと言うことは偶然ではないでしょう。
何が正しいかと言う事はすでに判っていたと理解すべきです。
残念な事にと言う言い方は少し極端かも知れませんが、ゲルマニュユームTrからシリコンTrへ、そしてICへと言う技術革新が進むのですが、残念ながら、音質の良し悪しから言うとこの逆なのです。
レコード技術も同じ様なことが言えます。日常我々が経験する事で、良い音を求めるとき「シンプル・イズ・ベスト」の原点に返ることを考えます。この事から考えると、NFBは正しく「シンプル・イズ・ベスト」から明らかに外れるものです。
ウエスタンのトーキー用アンプの91AはNFB技術によって特性を整えていました、そして今我々はその弊害に気付き、NO-NFBアンプに注力しています。これを技術の進化とは言い難いのですが、感性の進化による技術の進化と言えるのではないでしょうか。
日々我々の研鑽はこの様な純技術と言う観点から言うと相応しく無い面があります。だから、オーディオの世界は食の世界であり、感性の世界であり、人生感、哲学に至ると言い切るのです。それは、明らかに近代ビジネスマインドに反するものであり、持って生まれた文化が醸すものであります。
それでは、嘗て、先端新技術でならした会社経営者として、私は立つ瀬が無いと言うもの、今後は、NO-NFBで動作する半導体回路、プッシュ・プル接続しないでパワーの出る回路などの開発を試みていますが、我々の範疇でハイパワーと言うのは必要なのでしょうか、いつも疑問を抱えています。
「シンプル・イズ・ベスト」の理論から言うとデジタル・オーディオは複雑怪奇のなにものでもあります。しかし、既に踏み出してしまった新世界であります、「志」の無い者たちによって生鮮食料品のビジネスモデルに成り下がってしまいましたが、この技術は利便性から考えて避けて通れません。
真似されようとも、そして再び生鮮食料品のビジネスモデルの悲哀を受けようとも、ベンチャー企業の旗手として避けて通る気はありません。
限りなくアナログ回帰のあまりに、ハイビット/ハイサンプリングへと向かう技術者の単純さを横目で眺めつつ、デジタルオーディオや半導体アンプに対して限りなくその進化を求めるミッションを背負って行く必要を感じています。
これは、若い技術者に託すしか有りませんが、くれぐれも、「良い音とは何か」と言う原点を自分の都合で歪曲し、生鮮食料品ビジネスモデルや、B級グルメ食文化に格下げしないよう願うものであります。
その人の創る「音」は、その人の教養であり、文化であり、人格であり、ひいては哲学である事、その観点からオーディオを、そして、音楽を語り合える業界に発展させたいものです。