会長のコラム 173
昨年のコラム170にて、パワーアンプMA-2000の2016年度グランプリ獲得のニュースを記させてもらいました。以来製造が追いつかずにバックオーダーを抱える状況が続き、私としても居心地の悪い状況でしたが、年明けとともに各雑誌社から表彰状が届き、製造工程も改善が進み、バックオーダーの出荷も順調になってきました。
このパワーアンプMA-2000は、初代パワーアンプから3代続いてのグランプリを獲得することになります。嬉しい事に過去最高の出来映えとお褒めを頂き、わが社のオーディオ事業も実力発揮のエンジン全開の状況に至っております。
本来、もっと早い時期に本件に付いてご紹介すべきところでしたが、製造に手間がかかりバックオーダーを抱える状況では、とても自慢話をする環境ではありませんでした。ここで改めてお詫び申し上げ、商品開発の事情、そして事業の有りよう、などに付いてお話させて頂きます。
オーディオシステムの「音」の入口たるデバイスが、ピックアップカートリッジでして、たまたま、それが当社最初の商品でした。入口に続くデバイスがフォノアンプで、当社の商品が業界での先駆的発売でありました。最近では、当社に倣った商品が目白押しと市場を賑わしています。当社が発売する商品に順番がある訳ではありませんが、オーディオ信号の入口から出口のスピーカーに向かって開発が進んで来たわけです。
ピックアップカートリッジの性能を余すことなく発揮できるフォノアンプは、プリアンプに付属する「おまけ」的な発想のものしか存在しないのが当時の状況でした。少し語弊があるとすれば、私の求める性能のものとお考えください。その点をクリアーしてみると、また次のデバイスも同じ様な状況に至るわけで、徐々に私流商品の開発が進んで、結果として今年の3機種目のパワーアンプ MA-2000 に至ったと言うのが実状であります。そして、グランプリ選者の方からは過去のパワーアンプの中で一番の出来栄えとお褒めを頂いた事は、技術担当者と関係する社員にとって何物にも代えがたい喜びといえましょう。
当社のアンプ系商品は、真空管であれ半導体であれ、負帰還を掛けない(NON-NFB)と言うのが私の厳命であり社訓であります。NON-NFB による商品作りでは、構成する部品の精度を緻密に選別する必要があり製造の立場として手離れが悪いのです。分りやすく言うと儲けにくいと言うことです。NFBを掛けると部品のバラツキなどに関係無く、物理特性は良くなります、しかし、そのNFBは我々の求める音質に悪影響を及ぼし、我々の感性に悪影響を及ぼします。
NFB以外の「音」作り要素として、信号を出す側の出力インピーダンスは限り無く「ゼロ」を、その信号を受ける側の入力インピーダンスを限りなく無限大にと言う事であります。そして電力を消費するデバイスへの電力供給元のインピーダンスは限りなく「ゼロ」を目指します。だから、究極の電源は、柱上トランスから直と言うのが実現可能な現状でありますが、それでも「ゼロ」ではありません。我々に出来ることは、限り無く近くにと言う事で、自然科学に挑戦するのが、「生音のらしさ」を求めることであり、そこに企業機密が存在し企業間の差別化があらわれます。
と言うことで、グランプリ獲得のパワーアンプMA-2000 の商品紹介と試聴イベントは、フェーズメーションのホームページをご覧頂ければ幸甚で御座います。
今月2月の音楽ライフです。
2月2日木曜 新国立劇場プッチーニ/オペラ「蝶々夫人」19時開演で初日公演に行ってきました。本公演は、4回の公演予定であります。日本を題材にした作品と言う事で、新国立劇場では1998年、開場最初のシーズンの幕開けに上演して以来、度々公演を繰り返して来た呼び物オペラであります。これも日本を題材にした名作であるからに他なりません。
当日のキャストは、ピンカートン役のリッカルド・マッシ以外すべて日本人でした。蝶々夫人がソプラノの安藤赴美子、この人は新国立劇場オペラ研修所終了、文化庁派遣芸術家として在外研修員として、蝶々夫人タイトロールなどを務めていたようですが、新国立劇場では「魔笛」での侍女役などで、目につく存在ではなかったように記憶しています。この蝶々夫人役はオペラ歌手としてベルカント唱法を全うすることは当然として、特に2幕での蝶々さんの複雑に揺れる心境の表現演技をこなさなければなりません。これが難しい役どころであり、安藤赴美子はこの点に難ありと言う感じでした。そしてシャープレスがお馴染みの甲斐栄次郎、そしてスズキ役が山下牧子、この二人はベテランであり流石と言うところでした。最近実力を挙げて来ているピンカートン役のリッカルド・マッシは流石でありましたが、甲斐、山下のご両名は見劣りしませんでした。
私事ですが、このオペラに付いては、オペラ歌手の岡村喬生さんとの関わりに特別なものがあります。岡村さんがイタリアで歌手活動をしていた当時の事、イタリア語でも無く日本語でもない意味不明な言葉に「これ何か」と、音楽監督に聴いたところ日本人のお前に分からない事が俺に分かる訳ないだろうと言われた事や、日本の生活習慣の誤り、怒り狂っているボンゾが「蝶々さん」と「さん」付けでの声かけは変だとか、いろいろ「拘り」を持っていて、プッチーニ協会主催のフェスティバルにてこの作品に纏わる誤解と習慣の間違いを正す目的の公演を共同企画したことがありました。その時、及ばずながら私も少しの協力をしたことが有って、思い出多き「オぺラ」となったのであります。この時の歌手が、全て日本から連れて行った人達で、スズキ役が現地で具合が悪くなり、現地の歌手に急きょ変わるのですが岡村さんの拘りから、演技指導をやると言うハプニングが生じ大変なことになりました、この年のトッレ・デル・ラーゴのプッチーニ・フェスティバルは本当に思い出に残る経験をしました。
2月4日土曜 神奈川フィル定期演奏会県民ホールシリーズ、 15時開演のマチネコンサートに行ってきました。指揮が小泉和裕コンサートマスター石田康尚、演奏曲目はオペラ序曲や間奏曲、その他オーケストラ曲の小品(アンコール・バージョン)を集めたコンサートで、気の休まる曲集のコンサートでした。指揮者の小泉はヨーロッパ、北米での活躍が多いひとでしたが、最近は日本のオーケストラの音楽監督や首席指揮者の役が多く国内での活躍が多いひとです。当日の聞きなれた曲の演奏を聴いてみると、この人の感性には私の琴線にふれるものがあります。それと言うのも小沢征爾の薫陶を受け新日本フィルの創設に関わり音楽監督に就任している事からも、私の最も好きな日本のオーケストラであることが理解され、やっぱりそうかと思える辺り、音楽とは楽しいものである事に改めて感じ入りやがては、病床に老衰に伏す折には、他人に頼らずに自分流の装置を用意すべきとしみじみ思う昨今です。
2月18日神奈川フィル定期演奏会みなとみらいシリーズ、14時開演のマチネコンサートに行ってきました。当日の指揮者が飯守泰次郎コンサートマスター﨑谷直人、演奏曲目がベートーベン交響曲8番、後ステージがシューベルト交響曲8番グレートでした。
この演奏会は興味深々でした、何と言っても飯守泰次郎の指揮です、新国立劇場の音楽監督であり、ワーグナーのオペラ以外に新国立劇場での指揮を聴いたことは有りません。その新国立劇場でのこの人の指揮は、観客から「ブーイング」が出るのです。何時もの私の席からはオケピット内は見えませんので、その指揮ぶりは判りませんし、演奏に不具合があるとは思えません。2階席の知人が言うには、本人が何処を振っているのか分らなくなって居る状況が見られると言います。と言う事でみなとみらいホールは指揮者の行動が丸見えですから期待しました。当日のベートーベン8番は、指揮者泣かせの曲と言われ余計に興味深々でありました。私の見るところ、飯守さんは殆ど暗譜状態での指揮で見事なものでした。レコードで7、8番を聴くときは、どちらかと言うと7番をきく事が多いのです、今回久しぶりに8番の生演奏を聴いてみると、集中して聴いている為か、この曲はリズムを生かした曲で、シンコペーションの活用などが随所に導入されていることが聴きとれ、決して7番に劣る曲ではないと思うに至り、指揮者泣かせの曲と言うのも理解出来る気がしました、これからは気を入れ替えてもっと聞いてみることにします。
後ステージのシューベルト交響曲8番「グレート」は、1時間に及ぶ大曲であり、ベートーベンの第9を意識した曲であることが窺えます。この曲がシューベルトの死後11年後にメンデルスゾーンの指揮で初演されたのは有名な話です、何故11年も経ってからなのか、今でこそ名曲と言われる曲も作曲当時は専門家以外には理解されなかったのかも知れません。それにしても才能豊かな歌曲作曲家であり、その才能を思わせるゆたかな主題が際立つ曲であります。飯守泰次郎の指揮は、この曲もやはり暗譜での指揮で、素晴らしい演奏でした。と供に神奈川フィルの実力を改めて認識する機会となった定期演奏会でした。
2月22日水曜 大阪フィルハーモニー交響楽団定期演奏会創立70周年記念演奏会が、東京芸術劇場コンサートホールにて19時開演で行われ行ってきました。
演奏曲目がショスタコーヴィチの交響曲11番と12番の大曲2曲で、指揮が井上道義でした。新日本フィルハーモニーの音楽監督を務め現在アンサンブル金沢の音楽監督を務め、そして代々木上原のムジカーザのオーナーとして、アクティブな音楽活動で広く知られているひとです。
東京池袋の東京芸術劇場は、素晴らしいホールと聞いていましたが、神奈川県に住む者からみると、遠いところに感じてしまいます。毎度のことですが、開演が19時ですから当然食事の心配と池袋にホテルなどあるのであろうか、などなど心配が尽きなかったからです。今回のコンサートは、大曲の2曲と大阪フィル、そして井上道義という3拍子そろった魅力にひかれて行ってきました。
ショスタコーヴィチは、大変な才能の持ち主だったと思います。初期の交響曲2番3番は極めて前衛的でありその後の作曲は、大衆受けする作曲技法になり、今回聞いた11番12番はやや社会主義リアリズムで前衛技法よりは大衆受けする方向で、才能豊かなと言うか器用と言うか幅廣い作曲家と言えましょう。それと言うのもレーニン、スターリン、フルシチョフと言うように革命続きであり、その時代の要求に従って作曲技法を選んで行ったからで、とても普通の才能ではやって行けない状況だったと思います。
交響曲11番は、前衛の影は無く極めて分かりやすい曲でありますが、なにせ、暗い曲であり、演奏時間が60分以上でしかも4楽章もの楽章間に切れ目が無いからレコードでつまみ聴きが出来ない、聴きやすい曲である事から真剣に聞いてしまう結果となり疲れます。オーケストラの団員はさぞご苦労だったとおもいます。
後ステージが交響曲12番で、この曲も第4楽章まで休み無く演奏されますが、演奏時間は40分程ですし、11番のような暗さは有りません。何れにしろ複雑な時代背景のなかで、体制に逆らう事なく順応した作曲家であり、並みの精神力と才能ではやれなかった筈です、この特殊な時代を生きた作曲家に思いをはせて、時代背景などを思いつつ聴くのが肝要かも知れませんが、現役を務める私はもう少し先の楽しみとなりましょう。
最後に、この東京芸術劇場の音響は素晴らしいです。私の席は2階中央の前寄りでしたが、楽器の音と位置が明快に聞き分けらました。またこのホールにはパイプオルガンがバロック音楽演奏用とサンサーンスのような近代音楽用途のものの2機種が設置されており、その都度に客席に現れるようになっている見事なホールであります。
ホールへのアクセスも環状6号の地下を通る首都高速からのアクセスが極めて便利ですが、拙宅から行くとすれば、新宿の新国立劇場の更に先となります。宿泊ホテルも、新宿や渋谷、上野のような利便性には譲らざるを得ないでしょう。