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colums会長のコラム

会長のコラム 153

6月24日から7月4日までの11日間で英国に行ってきました。昨年のこの時期に発症した脊柱管狭窄症の痛みで、取りやめた旅行の再開です。幸いにも旅行中は、心配した腰痛も発症せず、何事も無く済みました。しかし、医者からは、重い物を持つな、長時間同じ姿勢を保つな、などと注意されており完治の状態ではありませんでした。
旅行は、ロンドン・ヒースローにて休む時間も無く、国内線にトランジットしてマンチェスターに飛び、英国の初日はここマンチェスター泊でした。日本との時差は8時間の遅れ、体内時計は既に夜明けです。ヒースローの入国審査は長蛇の列、疲れも極限ですが何故か眠く無いのは時差の成せる技か、明日からが心配です。
マンチェスターは、現在では金融の街として栄えていますが、産業革命発祥の地として有名です。また、ビートルズ生誕の地としてリバプールが隣町にあります。だから、見学する場所に不自由は有りません。残念な事ですが、歳のせいか、産業革命発祥地とか、ビートルズ生誕地と言われても、若いときの様にギラギラする感激は湧いてきません。
英国の初日の印象は、先ず中国人観光客の多いこと、英国通貨のポンドが高くて物価高、札に羽が生えた如くに飛び去って行くのに警戒でありました。中国人観光客のマナーの悪さと派手なカラー衣装は、英国の風土に合いません。彼らの首に下げるカメラは何故か殆どが「ニコン」、これを見ると「私は中国人です」とネームを付けているようなもの。昔、日本の農協ツアーがロス・アンゼルスを闊歩していたのが何故か脳裏をかすめます。
為替は、1ポンドが約2百円でペットボトルの水が1ポンドで買えませんから、相当なポンド高、物価高です。EU圏に隣り合って独自路線を歩む英国の為替政策は輸入品の確保と観光客からの売り上げを期待する事かも知れません。ガイドさんは、それなりに商売は繁盛していると言いますから流石です。
二日目は、早速リバプール観光、此処で日本食レストラン「悦」を経営する安倍さんと言う男性のガイドさんが付きます。時差ボケでバス中では殆ど寝ていました。このツアーは私達夫婦ともう一組のご夫婦、そしてお一人で参加された初老のご婦人の計5名のメンバーです。大型観光バスで移動すると言う贅沢なもので、寝るのに最適な環境。この日は、そのままチェスターに移動、ホテル内の星付レストラン「サイモン・ラドリー」にてフランス料理です。
イギリスの星付フランス料理レストランです。これ見よがしと多種のパンを並べて好きなものを切って貰うのですが、見かけは美味そうでドイツやフランスものに見劣りしないのですが、味は今一「やっぱり、そうか」と妙に納得。しかし、料理の方は、それなりのシェフが付いているのでしょう、立派でした。
3日目の朝です。ヨーロッパの朝食は美味しいのが常識であります。しかし、ここはイギリス、果たしてどうか、昨夜のパンで懲りましたから、伝統のトーストを頂くことにしました。このトーストは流石です。ジャム、卵料理、それに紅茶は流石に英国の星付レストランでありまして、日本とは一味違うものであります。
この日も昨日の安倍さんのアテンドでチェスターからウェールズへの日帰り観光です。ここからが、いよいよ英国旅行の神髄、私たちの旅行目的である庭園見学と水路下りです。そして、中国人観光客は殆ど見当たらない。彼らの目的たる爆買いのチャンスが無いからかも知れません。
アバーコンウィ家が4世代に渡り発展させた80エーカー(日比谷公園の2倍)の面積、バラのシーズンで実に見事、名物の金ぐさり(金鎖)のアーチはシーズン的に終わりかけでした。庭園鑑賞のあとは、コンウィ城址の見学です。ここは、エドワード一世がウェールズ征服の拠点として築いた城塞で、世界遺産の登録物件です。
この日は、もう一つの世界遺産「ポントカサステ水路橋」を船で渡ります。ここは、渓谷地域ですが運河の発達した地域で、馬に船を曳かせて鉱石や生活物資を運んでいた水路です。その渓谷に水路の橋を築いて谷をわたります。之ほど手間を掛けて水路を利用して物資を運んでいたと言うことで、貴重な水路設備の例でありますが、今では、観光業と金持ち族のレジャーが主目的のようで、流石に馬で曳く船は無く、動力推進の船です。道路建設よりも経済的で日常の生活に活躍していると言われます。
この日は、チェスターのホテルに帰り、胃腸休めと言う事で、コンビニにて買い集めた日本食もどき鮨弁当や地元フルーツなどで済ませます。
翌4日目は、産業革命期の製鉄の中心地、コールブルックデールにある世界で初めてと言う鉄の橋の見学で、1779年に400トンの鉄を使ったと言う鉄の橋、今では別に何と言うことは無いのですが、この時代に400トンと言うのは凄い事の様で、文化遺産に登録されていますが、今更と言うシラケのムードで感激無し。我ながらこのシラケは嫌ですね、だから年寄の観光は充分な計画と注意が必要です。
その後、シェイクスピアの生誕地であるストラッドフォード・アポン・エイボンに行きます。ここには、シェイクスピアの奥様の実家、そしてシェイクスピアの生家が現存し見学することができます。オペラには、シェイクスピアの原作によるものが多くあって、私にも興味はあるのですが、何分戯曲や演劇にはとんと興味が無いので、もっぱら庭園の鑑賞に終始していまいた。この面にご興味のある方は、真剣そのもので「良かった、感激した」の連発でしたが、私には猫に小判の感じで、御免なさいであります。
今夜は、ストラッドフォード・アポン・エイボン:ザ・ウェルコーム・ホテル&ゴルフコースに2連泊です。
翌朝の午前は、かのブレナム宮殿のツアーです。ここは、マールバラ公爵ジョン・チャーチルがフランス軍を破った褒美としてアン女王から賜った宮殿で、チャーチル首相が生まれた宮殿でもあります。ここのガイドが竹中直人そっくりのMr.テルイと言う日本人で宮殿の職員でもあり、気軽にいろいろ教えてもらいました。ここも当然世界遺産でありますがこれだけ大掛かりな資産を維持するのは大変な様で、色々な工夫があるそうです。我々が見学した当日の夜には世界的なアーティストのコンサートがあって、ディナー付の席は日本円で15万円だそうです。この夜のアーティストは、ロック系で私には馴染みの無い人で、名前を失念しましたが、極めて豪華なコンサートだそうです。ちょうどリハーサル中でしたが私の興味外でコメントのしようが有りませんが、この宮殿内で催される事に価値があるのだそうで、言ってみれば、イギリスのミーハー族相手の資金集めの催し、宮殿の維持費にあてるそうです。流石イギリスのミーハー族はレベルが違う。
午後は、カレッジタウンのオックスフォードをミヤガワさんと言う日本人のガイドと共にウォーキングツアーです。雅子様が外交官時代に留学されたベイリオル・カレッジの中庭を覗いたり、ボードリアン図書館などを観て歩きました。オックスフォードにはオックスフォード大学と言うのは無く、そのシステムは我々には理解し難いのですが、色々な学校の集合体と言うものだそうです。それにても、大した距離を歩いた訳でも無いのに、疲労困ぱいで、病み上がりの体に応えます。その後の、この地区の水路、テムズ川の支流のチャーウェル川を30分ほど遊覧体験では、有り難い休息のひと時。この優雅な大学の町、その環境は流石に世界の秀才が集まる大学の町であり、日本の大学とは次元が違います。
この日の宿は、アッパー・スローター:ローズ・オブ・ザ・マナーで、俗に言うマナーハウスで、2連泊します。ここでの2日間は、コッツウォルズが中心であり、私のイギリス旅行の主目的の一つでありました。
仕事でロンドンを訪問している当時、コッツウォルズには何度か訪ねたことが有り、当時はロンドンから休日に日帰りでしたから、ゆっくり滞在してみたいと言う願望が有ったのです。広い地域に同じ様な蜂蜜色の人家が集合する集落が点在する地域で、ロンドンの金持ち族の別荘地域と言うことです。これだけ広い地域に同じコンセプトの別荘が集落を成すように点在すると言うのも不思議です。それも、ロンドンから100㎞も無いロケーションですからなおさら、やはり金持ち族のスケールが違うのでしょう。税金を取りたてる国にはこの様な文化は根付かないと僻み根性で思うのですが、本当の事情と言うのも知りたいものです。
最後の宿泊地は、ロンドンです。そして、宿泊ホテルは、アガサ・クリスティーの小説の題材になった、ブラウンズ・ホテルに2連泊です。このホテルは、流石世界の一流です。古い建物ですが、その居住環境は言う事無し。乗るエレベーターを間違えると自分の部屋に行けないとか、階段2段で方向転換とか、色々ありますが何か奥ゆかしい気遣いが感じられます。この暑いのにシルクハット姿のドアーマンご苦労さんです。
イギリス程、食の不味い所は無い等といわれますが、それは間違いですね。この国は、近代戦争に負けたことの無い国、しかも昔ながらの階級社会が徹底して残っていると思われますから、その成せる結果ではないでしょうか。庶民と上流社会では住む世界が違うと言う事と思います。
朝食のトースト、バター、ジャム、卵料理、そして紅茶、フルーツなど等、全て絶品と言えましょう。日本の高級ホテルと比較しても一味違います。夕食の料理もフランス、イタリア、スペインと言う具合ですが、イギリス料理は確かに限りがあるでしょうが、不味いと言うのは当たらないと思います。
そのロンドン市内は、相変わらずの中国人観光客が闊歩しています。英国博物館の例の石(ロゼッタストーン)の前は近付くことも出来ない。私は過去に見ていますが、それでも再度見ておきたいのです。塩野七生の小説「ローマ人の物語」を読んで以後、シーザーとの戦争で消滅したアレキサンドリアの図書館、その資料消失により、エジプト文明が永遠の謎と化したのですが、このロゼッタ石の発見によって蘇ったと言う事実は、何物にも代えがたいものと思うからであります。
今月は、どうやら、このコラム153で終わりそうです。何時ものテンポによるコラムの材料はあるのですが、暑さ故か元気が出ないのです。その内、書きますのでお許し頂きたく、続けてのご愛読お願い致します。

鈴木信行 :すずき のぶゆき

昭和45年勤務先のアイワ株式会社をスピンアウトして独立。

磁気記録に関る計測機器の製造販売の事業を開始し、その後カーエレクトロニクスの受託設計の事業を始める。

何れの事業も順調に発展したが、会長の永年の思いであった、ハイエンドオーディオの自社ブランドを立ち上げ、現在はカーエレクトロニクスの事業を主とし、協同電子エンジニアリング(株)として運営している。

現在、協同電子エンジニアリング(株)の取締役会長として、趣味のオーディオを健全に発展させたいと真摯に研究し、開発に勤めている。

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